り、社会に生活の道を拓いて行こうときめた健気な人々がある。
 これらの婦人たちは、最後にたよりになるのは天地の間に自分しかない、という悲愴な決意をした人々である。あらゆる歴史の波瀾の間で人間が最後のよりどころはただ一人、自分があるだけだと観じた場合は実に多かった。それは気力をふるい立たせ、計画ある行動に立たせて窮地を打開させる力となって来た。
 けれども、今日私たちが、自分一人が頼り、という雄々しい決心のその現実の内容をこまかくしらべたとき、生を守る智慧はどんなに深く大きくあらねばならないかということにおどろかれる。
 つまり、私一人、というものの、社会における四方八方への繋りの問題である。体が丈夫で気丈で、人と人との調和もよく百人中の一人として、いい職業につけた人があったとする。その人は、自力、自分の実力ということをふたたびうれしく認めるであろう。しかし、真面目な婦人であるならば、その満足の期間は短くて、新しい社会的な立場はとりもなおさず、より厳粛な社会的覚醒への扉であったことを知ると思う。
 民法が改正されようとしている。婦人にとって重大なかかわりをもつ結婚、離婚、親権、財産権などの条項が変更される。親、戸主の権威が不幸の原因とさえなっていた結婚というものは、当事者である男女の互の意志によってとりきめられ、互の協力によって維持されるべきものとなろうとしている。憲法で、男女同等の基本的人権が認められるようになった。それに準じて変更される民法の結婚の規定は、これまでの民法の矛盾をとりのぞいた。結婚しようとする当事者たちの意志できめられるというのは、さわやかにはればれした人生の門出を予約するように感じられる。
 民法の上にさっそうたる朝風が吹きわたるとして、さて、私たちの毎日の実際で、当事者同士の意志は、そんな単純明朗であり得るだろうか。結婚は愛するものたちの「自由意志」に立つとして、その基本になるどっさりの社会条件は、誰の意志によって実現しているだろうか。住居のこと、収入と物価、夫婦二人のほかに家庭的な扶助の責任の問題。共稼ぎの必要、その必要には余り不備な今日の社会施設。もし健康に自信のない妻であるならば、共稼ぎと主婦の労苦を二重に負って病気したとき、その不安は誰が分担してくれるであろう。
 すべての人民は働く権利がある、ということが男女差別の扱いなく行われ、すべて
前へ 次へ
全9ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング