慎一は自分と似た年齢の三十から三十五六という人々の生活を念頭におくわけだが、みんなこれらの人々は、どんな独りの心持を胸にもちながら、この朝夕をくらしているだろうか。
 往復の省線のなかなどで、割合にすまして新聞などをひろげている人の顔に折々つよい興味を感じ、そこは微妙な以心伝心で、その人達の生活の心が、あながち新聞の紙面の縦横の寸法だけに、はまり切っているものでもないことを共感するのであった。
 東洋経済というところは、経済的な意味では大してよくないところであった。しかし、慎一がそこへ就職したのには仕事の性質上の興味があった。同じ語学にしても、それが世界の刻々の動向と結びついて役立てられる。このことが慎一の気にかなった。月給で足りないところは、文筆上の内職めいた収入で補って、一人の知識人として謂わば筋のとおった貧乏をして、自分たちの境遇を持って来た。ところが、近頃は、或る瞬間足もとを急流が走っているような感覚に襲われると同時に、はっきりした理由はないが、何となしにこれまでのように安心して、筋のとおった貧乏をやってゆき難い時が迫っているような気のすることがある。しかしながら、その感じにし
前へ 次へ
全32ページ中17ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング