ずまって、その手紙をよんでいる風であったが、やがて、
「おい、ちょっと来ないか」
顔はまだ手紙の方に向けられている慎一の呼び声がした。
「すぐ」
「――来て御覧」
「何なの」
出された手紙に目を通すと、峯子は腑におちない表情になって、
「ふーむ」
と慎一の顔を見た。
「何だか変な気がするわ。今どき、家なんて本当に建つの?」
「沢田の兄貴の地面がつかえて、建築家の沢田が建つと云うんだから、建つんだろう」
「だって――集合住宅なんでしょう? 小さいもんでもないのに。五十円ずつ十年の年賦にしたって……」
これから先の十年という年月の間、現在と同じ生活条件を動かないものときめてそんな計画を立てた発起人たちの生活への心ぐみも、峯子のこの頃の実感にはぴったりしなかった。峯子はあしたにも変らせられなければならない自分たちの生活を考えて、寧ろそのためにこそ用意するこころもちで暮しているのに。そして、それは今の日本の幾万組かの若い夫婦の生活感情でもあると思えた。
「沢田も息子をもったりしたら、きっとこういう考えにもなったんだろう」
スカートで素足へ草履をはいた峯子は、カンバス椅子の背に手をおいて、暫く黙っていたが、
「ね、私、つむじ曲りなのかしら」
ゆっくりまわって来て、慎一の前のところへ跼み、腕木へ自分の柔かい顎をもたせるようにして良人の膝にいる照子に自分の小指を握らせた。
「こういう方たちの気分とはちがうわ。照子のこと思ったって、やっぱり違うところがあるわ。可愛くたってもよ」
「どうせお互に家賃を出しているくらいなら、ばからしいから自分のものを建てようと云うだけの考え方なんだよ。……しかし、ここは何しろ二十四円だからな」
と慎一は笑った。経済的な点ばかりでなく、そこに住む一団の家庭の所謂文化的で品のよいという雰囲気に肌が合わない夫婦が、その年賦の住宅建築に加わる気のないことは、改めて言葉に出さない夫婦独特のわかり合いで峯子にもわかっているのであったが、この話がもし二三年前に出たのだったら、と峯子は、短い間にはげしくかわって来ている自分たちの感情が顧みられた。
こうやってカンバス椅子の腕木にふっくりした顎をのせ、照子の手の中に握らせた小指を振って娘をあやし、自然の笑顔になっている妻の感情が慎一にはよくわかるように思えた。勝気だとか何とかいうのとは全く別な気持ちから、峯子
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