ア」という言葉で自身の居り場を語っていられる。
 日本はこの十年来、猛烈な動きを経験しつつある。インテリゲンチャ大衆の心持も大いに動いた。往年、その事大主義的な天質に従って学生運動の頭領となった一人の男が、同じ天質に従って今日は文化に対する統制の旗ふりとなっている現実である。小林多喜二的なものや芥川龍之介的なものが、発展的に批判されなければならないのは、もとより明かであるが、芸術の問題、インテリゲンツィアが今日の歴史をいかに生きぬくべきかという痛切な問題にふれて見た場合、どうしても、その批判なり反応なりが、どういうたちのものであるか、ということは考えないわけにゆかない。小説の普通の真面目な読者は、その感想にスタイルこそ整えていないが、常にここへ自然な読後感をもってゆくのである。
 伊藤氏が健全な人間的作家としての野望を抱く現代青年の心的事実の代弁者であるならば、小樽の街上を袂を翼に舞ったり下ったりする戯画化された小林の粗末な描写で、歴史的重要さが求めているだけの批判をなしているとみずから承認されはしないであろう。あの批判で万事O・Kであるならば、今日のインテリゲンツィアの苦しみや努力は
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