一種のユーモアがある。
 男子、女子の区別は、従来の日本の半官的な場所では愚劣なほど神経質であった。上野の図書館には、明治の前半期に樋口一葉がよく通った。一葉日記に、ここは屡々出て来る。その頃、おそらく一人か二人しかいなかったであろう女子の閲覧人は、どういうところで読んだり勉強したりしていたのであったろうか。私の記憶にあるはじめの婦人閲覧室は、現在、手洗場のある長廊下のつき当りの小さい光線の不十分な一室であった。そこだけは、カタログ室からも一般閲覧室からも遠くはなれていて、薄暗い灯にぼんやり照らされたその長廊下を受付けまで歩いて来る宵のくちの図書館の気分は、独特であった。暗くなって、その室の人数が一人一人減ってゆくと、少女の心は落付いていにくかった。背筋のひきしまるような気もちで、人気のない長廊下を来て柵のところの机に、電燈の光を肩から浴びた受付の人の姿を見るとき、人里に近づいた暖かみと安心とを覚え、階段にかかっている円形時計の面を見上げるのであった。その円形時計は、針が止ったまま、恰《あたか》もその壁の上についている。そして、こんど行ってみると、その長廊下へ出るところに、木箱がどっさ
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