いめいの女としての人生の行手に新しい期待をかけて月一回ずつ集ることになったのであった。
 見かけよりはずっと奥ゆきの深い、いかにも桜木町辺の家らしい二階によったその集りには、非常に好感がもたれた。みんな、生活を知り、この社会で女が自立し、働くということの現実を知っている十五人足らずの人たちであった。なかには幼い娘を膝にのせている人があり、元来はお母さんが集りの仲間であったのに死なれて、文理大の研究室助手をしているその娘さんが、第二世会員として出席しているというようなこともあった。この集りは、上野の図書館の婦人閲覧室が、夜はほんとうに気味のわるかった音楽学校の森よりの場所から、本館の三階の上へ移って後、つくられたものなのであった。
 女の友情と云えば、たよりないものであったのも、つまりは婦人が社会人として無力であったからであった。経済的能力もないし、はっきりした職業の上の立場もないし、友達にたよられれば共にゆらつく生存の足場しかもたなかった。女子の専門学校や大学の学校仲間というものも、これまでのように、親の資力の大さでそこの生活が保障されて来た娘たちの集り場所であっては、結局、生活の問題までをわかち合う仲間としての友情は生じにくかった。
 もうこれからは、どこの図書館でも、婦人閲覧室というものは無くなってゆくだろう。云ってみれば、社会の全面から、そういう差別を無くしたい気持に燃えている、女の人たちの集りが、最後の婦人閲覧室から生れたことは面白く思われる。
 この頃の上野の山はこわい東京の中でもこわいところの一つとなった。初冬の落日は早くて、五時すぎると上野の森に夕靄がかかりはじめた。西空にうすら明りはあるのに、もう美術学校の黄櫨《はじ》の梢は、紅を闇に沈めてただ濃く黒いかげと見えるばかりである。婦人閲覧人たちは、殆どみんなこの時刻に帰り仕度をはじめた。わたしも、ふろしき包から下駄を出して、正面の段々をのぼり切ったところで穿きかえた。
[#地付き]〔一九四七年三月〕



底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年3月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
   1953(昭和28)年1月発行
初出:「文芸」
   1947(昭和22)年3月号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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