げ髪の母未亡人であるような気がした。
「水……」
 黙ってコップを差出した人の顔を見ると、それはここにいるとは思わなかった垣内である。正隆は怪訝《けげん》な顔をして眼瞬きをした。
「おい……」
「どうしたね、気分は少しは好くなったか?」
「きぶんは、すこしは、よくなったか……?」
 正隆は、どこか寝ぼけたようで、はっきりしない頭を、強いて掻き起すようにしながら、垣内の言葉をそのまま、書取《デクテイション》した。
「気分が悪い? それじゃあ俺は病気なのだろうか、何時から? どこが悪い? 使用がないな、よほど悪いのかな、垣内……家の婆さんはどうしたんだ。陰気だ、これじゃあいけない……どうかしよう、然し……それにしても……」
 グヮン、グヮンと激しい耳鳴りがし始めて、正隆はまた、ぼんやりとして、何か不仕合わせで頼りない気がする薄暗闇の中へ、ずるずると滑り込んで行った。

 満《まる》二日経って、正隆はようよう平常の頭脳を恢復した。恢復したとはいいながら、その頭脳の存在は、正隆にとって悩ましいものである。床に就て、夜も昼もただぼんやりと、取止めのない影のような気分の錯綜のみを感じているうちは、
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