、正隆は、楽しかった。それは事実である。彼は自分が幸福であること、若し人間の味い得る幸福の種類が十あるものだとすれば少くとも、その中の七つまでは、既に味い得たことを、確信しているのである。
 けれども、勿論、それで完全だということは出来ない。正隆の理想から見れば、美の形式に於て殆ど完成に近い女性を信子夫人だということは出来ても、それならば、彼が、無意識の中に描いていた愛というものは、これで完全かというと、正隆は、明に或る躊躇を感ぜずにはいられなかったのである。
 よい家庭に育って、女性としての教育を当時としては出来るだけ与えられた信子夫人は、元より欠点というべきほどの欠点は何一つ持っていなかった。
 総ての女性が、従順である通りに彼女は従順であった。謙遜であった。そして辛棒強くもあった。深い謹《つつしみ》と、尊敬とを持って、良人である彼の前に傅《かしず》いてくれる。時によると、無作法な彼が、思わず恐縮するほど、嗜の深い細心を持って生活を縫い取っているのである。
 けれども正隆は時に、散歩などをしながら、ふと何かの機勢《はずみ》で、けれども――と思い出さずにはいられないような気分になることがある。それはどこまでも気分である。理窟からいえば、あれほど賢くふるまって、家を治める彼女に、それ以上の注文を出すのは、不親切だと思いながらも、なお、或る時に思わずにはいられない気分が、けれども――と遠慮深く呟きながら、或る不平を訴えるのである。
 その不平は、何故、あれほど利口な信子でありながら、何故またあれほど熱がないだろう、という愁訴なのである。
 今、ここで正隆は、かりに熱という言葉を使ってはいるが、それは実際、その本質に於て、熱と称すべきものなのかどうかは、分らなかった。が、何か、それに似た一種の力が、素晴らしい信子の裡には、欠乏しているように思われるのである。
 その或る物の欠乏は、外に表れると、彼女の冷静な、研ぎ澄した銀線にも比すべき美貌に、神秘的な陰翳と底力とを与えるものであるが、それが、魂と魂とが裸心で向い合おうとすると、思わず、彼を冷やりとたじろがせる種類のものなのである。
 静脈が、今にも紫に透き通りそうな、薄くすべすべと滑かな額から、反を打った細い足の爪先に至るまで、信子夫人の肉体を構成する一本の太い線もなかった。
 総てが毛描きである。弱く、繊《ほそ》く描か
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