るのではあるまいか。
彼等にとって、自分は重荷なのだ、目先にいられると、絶えず圧迫を感じずにはいられない。それで追い出そうとする。追い出したいと思いながら、断然と、それを口に出しても云えない者が、どうして、優者らしい態度だといえるだろう。つまり、自分は勝っているのだ。最後に於て勝利を得るのは、この、酷めたと思われている、自分以外の何人でもない筈なのである。
そう思い出して見ると、正隆は、もう何も、こんな田舎の、古びた農学校なぞに未練を持つべき理由を、何処の隅にも発見しなかった。野蛮人達の、果しもつかない小競合《こぜりあい》の中に入って、争うのも惨めな位置などを眼がけるには、もう一寸自分は大きく生れ付いている筈だ。
もっと素晴らしい未来が、自分には保留《レザーブ》されているではないか。
正隆は立ち上って、丘児帯の後に、双手を挾みながら、部屋中を王者のように緩々と歩み廻った。そして、半年近い過去を、夢のように、それも馬鹿馬鹿しい夢を、自ら顧みて忍び笑いをするように、くすくすと肩を竦ませて、舌を出した。
七
こんなにして、突然豚にでもくれるように、心の中で自分の位置を垣内の、四角な顔に擲きつけた正隆は、その晩手荷物も持たないで、K県を立ってしまった。
中二日置いた靄《もや》の濃い冬の朝、膏と油煙で黒光る顔を洗いもせずに、九段の家の敷居を跨いだ彼は、もうそれきり、二度とK県へ、振向こうともしなかった。
僅か半年とはいいながら、充分に物凄まじかった正隆の教員生活は、最後の、半ば気違いになった大飛躍で、遠い、遠い彼方まで、放擲されてしまったのである。
副島氏等からの音信によって、正隆は、もう立派な病人だと思い込んだ未亡人は、ひたすら、彼の恢復を希うばかりで、今更、彼を元の位置迄送り返そうなどとは、夢にも思ってはいなかった。
そればかりでなく、未亡人は、丁度注意深い獣使いが、傷に触って、狂う獣を一層荒れさせまいと用心するように、どんな場合にでも、決してK県の話だけは、鬼門にして触れなかった。
また一方からいえば、あれほどの希望と、誇りとを負わせて送り出した彼女は、この常軌を逸した彼の帰京を、病気にでも理由つけて置かなければ、到底堪らないほどの、失望や、間の悪さを感じるのだったろう。
従って、かなりまで強調された「病人」の特権によって、正隆
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