一種の不安と、いわるべきものであったろう。彼は、仲間の年長者達が、数年若輩である自分に向ける、試問的な眼をきらっていた。表面は、好意と助力とに満ちているらしく振舞いながら、内心では私に、自分と彼とを計量器に掛けるような態度。正隆は、たとい、どれほど同情するらしく、
「いやお困りでしょう。当分は誰でも閉口しますよ、まあもう暫くです」
などと、言葉の不自由を想いやってくれても、裏ではきっと、自分の鈍《どん》を笑っているに違いないのだ、と思わずにはいられない。何も、それを証明する実証は上らないでも、正隆は、総てをそんな風に思わずにはいられない気分になって来たのである。
 多くの人の中には、実際そんな者もあったかも知れない。けれども、決してそれが全部ではないということは、断言出来る。
 けれども、正隆は、それ等の種類を鑑別するだけ、自分を開いていなかった。自分の魂に、日の目が差さないように封鎖した彼は、また他人の心へ、光線を送り、見出すことは出来ない。絶えず揉まれる、落付かない、不真実な周囲を感じる正隆は、凝《じっ》と、寂しい、腹立たしい心を噛みながら、同僚に背を向けた。
 彼は、温みのない、堅い、辛辣な、裏切者が潰れた片目ばかりを光らせる生活を感じたのである。
 冷酷だ!
 何かにつけて、正隆はこう呟く。
 何が、冷酷なのか? 生活、人生が、冷酷なのだ。何故、冷酷なのか? それは、はっきりと説明の出来ない心持である。けれども、それが、冷酷であるのだけは、明かな、或る一種の心持。それは、容赦なく片端から、自分の持つ希望も、幸福も、努力も、何も彼も擲《たた》き落して泥まびれにしてしまうような惨酷さ、胸が搾られるような寂寥、皮肉、利己主義、そんな感情が、皆ごちゃ混ぜになって、醗酵した心持である。
 その薄ら寒い、暗い、じめじめした気分が近寄って来ると、正隆は逃げ出す力さえ失ってしまうのが常だった。
 彼は淋しくなる。感傷的になる。そして、子供のように、愛撫されて泣き出したくなって来るのである。
 けれども、どこに彼を泣かせてやる人がいるのか、正隆は絶望する。
 老人の謡曲の師匠。老耄に近い年長者連。皆関係がない各自の生活の中に、巣喰っている。教授という位置が彼を縛って、たとい、お座なりにしろ、美くしい顔に憐れむような表情を浮べて、彼の不平に耳を傾けてくれるだろう女性にさえ、近寄
前へ 次へ
全69ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング