ように傲然と歩く姿を、人々は、どんな気持で見ているか、それは正隆が、思いたくなくても思わずにはいられないほど明かなことである。
殆ど無数の群に対してそんな感じを、第一の印象として得た正隆は、愈々、実物として、農学校の校舎を見、学生を、直接交渉の対象として眺めた時に、まるで、憤りに近いほどの、不平を感ぜずにはいられなかった。
多少の想像を色づけて描いていた校舎は、煉瓦造りどころか、古び切った木造で、それもようよう土台が崩れないというばかりの荒屋である。その雨風に曝されて、骸骨のようになった部屋部屋には、大きな、あから顔の山賊のような学生達が、肩を聳し、眼を怒らせて控えているのである。
それのみならず、彼等が喋る言葉は、何よりも正隆をおどかした。
一目見ただけでも、弱い彼を威圧せずには置かない彼等の体力の異状な差は、更に不可解な彼等の方言を添えて、正隆を息も吐かせず、縮み上らせたのである。
勿論正隆は、K県が、特殊な方言を持っていることは知っていた。
けれども、東京に生れて育った正隆は、方言に就ては、惨めなほど無智であった。またその無智であることを、都会人が持つらしい淡い誇りで認めていた彼は、今、実際の場面にぶつかって、少からず面喰うのである。
一方からいえば、自分の経験から、学生だけは少くとも、標準語を使うだろうと高を束《くく》って、安じていた楽観が、現在彼等が喋る、妙に抑揚の強い、丸い、男性的であると同時に、何か原始的な気分を持った言葉によって、見事に裏切られたことになるのである。
正隆は、完く、うんざりした、途方に暮れた、が、而し、そういって済む場合ではない。
生れて始めての経験に逢おうとして、自分自身に対してさえ、安易な信任に落付いていられない正隆は、第一、外観の圧迫に、或る不安を感じさせられ、また、言葉の困難に遭遇して、殆ど張切れそうにまで、神経を緊張させた。同じ日本人でありながら、言葉が思うように通じない、それも、自分の云うことだけは、滞りなく先方に通じながら、相手の云うことを、明瞭に掴めないということは、単純な言葉の不自由より、更に、幾層倍か、不愉快なものであった。
つまり、正隆は、自分の云うことは、いくらでも批評される位置にありながら、その批評を、隅から隅まで理解して、また批評を投げ返すことの出来ないのが、何よりも焦《いら》だたしいの
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