でもまあ、少しばかり読んだり書いたりする位が人間らしい。
 何か読むか書くかしなければ居られない私がその仕事を取りあげられて仕舞うと「どら猫」より馬鹿になって仕舞う。
 ボンヤリと空をながめて居たり、うなだれて眼ばかり上眼を用《つか》って物をねらう様な様子をしたりする。
 変に陰気になってろくに笑いもしなくなる。
 呑助が酒を取り上げられたのと同じになるのをつい此間から草花でまぎらす事を気がついた。
 五六本ある西洋葵の世話だのコスモスとダーリアの花を数えたりして居る。
 早《はや》りっ気で思い立つと足元から火の燃えだした様にせかせか仕《し》だす癖が有るので始めの一週間ばかりはもうすっかりそれに気を奪われて居た。
 土の少なくなったのに手を泥まびれにして畑の土を足したり枯葉をむしったりした。
 けれ共今はもうあき掛って居る。
 あんまり騒《さわ》がなくなった四五日前から前よりも一層ひどく髪が抜ける様になった。
 女中に「抜毛を竹の根元に埋めると倍になって生えるそうだ」と母《はは》が「裏の姫竹の根に埋めておやり」と命じた。
 女中はハイハイとうけ合って居たっけがそのまんま忘れて午後になって見ると大根の切《きれ》っ端《はじ》やお茶がらと一緒に水口の「古馬《ふるば》けつ」の中に入って居る。
「オヤオヤヘエー」って云いたい気になった。
 別に腹《はら》も立たない。
 其のまんまに仕て置く。
 こんな事をひどく気にして居たら女中なんかと一緒に居られるもんじゃあない。
 幾度も幾度も女中が変って知った事だけれ共、私が手紙を出しとくれと云って先[#「先」に「(ママ)」の注記]ぐ腰をあげる女は好い方である。
 其の家の娘がたのんだ仕事の仕工合《しぐあい》で女中の気持は大抵わかるものだと思う。
 又こないだまで居た、話しにもならない様な女中の事を思い出す。
 顔がかなりで生半分《なまはんか》物が分って、悪い事に胆の座《すわ》った女ほど気味の悪いものはない。
 彼の女も一度だか私の髪を埋めた事が有った事を思い出すとあんなものの手で埋められたのかと思うと髪の根元がムズムズする様だ。いやらしい。
 一体秋になるといつもなら気が落ついて一年中一番冷静な頭になれる時なんだけれ共今年はそうなれない。
 大変な損だ。
 秋から冬の間に落ついて私の頭は其の他の時よりも余計に種々の事を収獲するんだけれ
前へ 次へ
全3ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング