訳だ。もっと貧しい、もっと人に嫌がられる者があった。その者を、彼女も婆やと呼んで、時には慈悲もかけてやれた。自分が決してどん底の者でないことが感じられていたのだが――沢やの婆が行ってしまったら、後に、誰か自分より老耄《おいぼ》れた、自分より貧乏な、自分より孤独な者が残るだろうか?
自分が正直に働いてい、従って真逆《まさか》荷車で村から出されるようなことにならないのは解り切っている筈なのに、其那気になるのが植村の婆さんには我ながら情けなかった。癪にさわると思っても、何だか淋しい、沢や婆を村に置きたい心持がのかない。植村の婆さんは、しみじみとした調子で呟いた。
「今度会うのは何処だやら――地獄か、極楽かね」
「私しゃ、どうで地獄さ――生きて地獄、死んでも地獄」
万更出まかせと思えないような調子であった。
「…………」
七十と七十六になった老婆は、暫く黙って、秋日に照る松叢を見ていた。
沢や婆が帰る時、植村の婆さんは、五十銭やった。
「其辺さ俺も出て見べ」
二人は並んで半町ばかり歩いた。[#地から1字上げ]〔一九二六年六月〕
底本:「宮本百合子全集 第三十巻」新日本出版社
1986(昭和61)年3月20日初版発行
初出:「ウーマンカレント」
1926(大正15)年6月号
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2007年8月14日作成
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