精神によりどころを与えることが必要だということは誰のめにも明らかになっている。文相天野貞祐が、各戸に日の丸の旗をかかげさせ、「君が代は千代に八千代にさざれ石の、巖となりて苔のむすまで」と子供の科学では解釈のつかない歌を歌わせたとして、ピチピチと生きてはずんで刻々の現実をよいまま、わるいままに映している子供の心に、何か人間としての秩序を感じさせる力をもっているだろうか。九歳になるひとりの女の子は、その父親とこんな問答をした。「パパ、君が代って昔のうた、知ってる?」「知っているよ」「きょう学校でならったの」「ふーん。どうだった?」「むずかしいのね、ほかの歌とちがうんだもの。とてものろのろうたうのよ、むずかしいわ」
 戦後の子供がラジオを通じレコードを通じ、なじんで歌う歌は、軽快に、明るくたのしく、リズミカルであるように、と児童の心理に即して選ばれている。君が代が歌そのものとして、歌う子供たちにわけのわからない義務感しか与えていないとすれば、君が代に対するとしよりの郷愁は、もう一度考え直されなければなるまい。
 修身科をおくかおかないかも論議まちまちで、修身がほしいと考える人々でさえも、教育
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