勅語的修身を拒否したのは、こんにちの日本として当然であった。子供のために修身を、と考える親の心には、きょうの世相をかえりみて、子供の未来、日本の将来に、人間らしい生活をうちたててゆく自立した精神の源を欲する願いが切なのである。
北九州の小・中学校の先生たちは、昨年六月二十五日以来、青少年の窃盗事件の頻発に悩んでいる。クズ鉄の価がはね上った。子供たちは、工場の地べたにおかれているクズ鉄、クズでない鉄、手あたり次第に、ひろって来る[#「ひろって来る」に傍点]ようになった。アルバイトの一種のようにさえ思っている。そういう子供たちに対して、厳粛に訓戒するために、先生は非常に困惑を感じるそうだ。場所がら「特需」景気がふきあれていて、家庭にも朝鮮景気が侵入しているし、新聞雑誌などでも朝鮮の動乱で日本は儲かっていいという話がおおっぴらにされている。全体のそういう火事場泥棒めいた雰囲気のなかで、先生の正直であれという声は、案外にも、だから先生んちはいつも貧乏なんだね、という子供のひそひそ話をひき出しさえしているのである。
十二月四日から一週間、「人権擁護週間」が行われた。読売新聞が(七日)社説「人権擁護の完全を期するために」で第一、警察官の民主化の実行、第二、地方刑罰条例の濫発への警告――売春等取締条例・公安条例など「国会で決定せず、地方自治体できめしかもムヤミにつくりたがる傾向」を批判していた。一九四八年に人権擁護委員会が置かれてから取扱った件数八八一七件。そのうち警察官の人権蹂躙事件五〇%。毎日新聞(八日)の社説に、この五〇パーセントが「二十五年には八〇%というおどろくべき数字をしめしている」「官憲による恐怖時代がまだ存在している」とかかれているのは誇張でない。最高検では、青少年の反社会的行為が、おとなのえらい人たち[#「おとなのえらい人たち」に傍点]の行為にあらわれている社会的良心の麻痺と責任感の欠如をどう反映しているか、については考慮を払っていないようだ。少年法を二十歳まで適用しては、罰が軽くなりすぎるとばかり心配している。
しかも毎日新聞(十二月十五日)では「反戦・反軍をあおる少年の犯罪が激増しており」それらの子供たちの「逮捕留置」が、いまの少年法では困難だ、と論じられている。わたしたち日本の人民は目を大きくあいて、この一行をよむべきである。東條内閣のとき、反戦・
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