傍点]のこんにちに、やっぱり譲原さんがこのようにして死んだということは、わたしに限りない思いを与える。今村恒夫、今野大力、これらの人たちは、直接その身体にうけた拷問が原因で死んだ。譲原さんの身体に今野大力の耳のうしろに残っていたような傷はなかったろう。しかしこれらの人々がもっと生きられるいのちを、もっと育つ才能を半ばで野蛮な力に殺されたということに、ひとつのちがいもない。
 譲原さんの遺稿として新日本文学に「朝鮮やき」がのっている。みじかい作品だけれども感銘がふかい。北海道の鉱山に働きながら朝鮮の独立運動のために闘っていた一家を中心としてかかれている物語りである。緊密によくかかれている。そして最後は敗戦後の東京で目撃した朝鮮人の解放のよろこびの姿で終っている。譲原さんが清瀬療養所に入院してから書いたものらしい。絶望的な病状におちいりながら、ああいう作品をかいて、ああいう歓喜の状況をむすびとした譲原さんの気持をつらぬいていたのは、解放へのますます激しい欲望であり、生きることへの要求であったことがしみじみとうけとれる。そして彼女のそれらの要求は全く正しいものだった。譲原さんを知っている人は
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