えているとは言えない。その経路を生産の場面に働く人間の存在の条件或はその状態から語る労働として見る立場からその文学が立ち現れず、物[#「物」に傍点]を生産する過程や場所[#「場所」に傍点]に重点を置く生産という言葉を戴いて出現したことは、やはり時代の対人間の傾向を示すものとして見逃せない。建設的な精神の本来は極めて複雑高度な現実把握と実践との統一を意味するものであろうが、当時らしい概括で流布した建設的精神の解釈は、当面向けられた要求に向って一切の疑問を抱かぬように単純化された生活と精神との所謂真面目さという低度に止まっていた。生産文学は、人間を物に従わせるということで、とりもなおさずそのようなものとしての建設的精神の文学的表現となったのであった。
 ところで、知識人をこめた一般の読者は上述のような幾種類かの何々文学の続出に対して果して満足していただろうか。知識人は生産文学が示したような人間生活と精神の単純化には、何と云っても耐え得ないものを持っている。何かの理想を求め、主張をたずねている。しかも、一つの理想主義があらわれるとそれに束縛されることを望まず、何かそればかりではない他のものを
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