ことも、究極に於てはこの農民文学がそうであった通り文学からの生ける人間の退場が根本の理由をなしている。かつて横光利一が第四人称の私を発明した時既に生産文学に於ける人間と物との置き換えの準備がされたのであったといえば、「紋章」の作者は意外に感じるであろうか。
私小説的境地からの脱出として社会文学ということがいわれた時、文学は作者と作品の世界とを繋ぐ血肉的な関係に対する支配を失っていて、作家の創作的意図で作品が作家の生活の外でどしどし纏められてゆく危険に曝されていたのであるが、社会的な素材を文学に持込もうという意図が作者の内面ときりはなされて旺盛になったことは、時局と共に生産拡充の呼び声に惹きつけられて行った。
社会の物質的な土台が生産にあることを否むものはない。生産面に働き、その働きに於て生活的・社会的な人間の評価をもつ人間が小説に描かれてゆくのならば、労働文学と何故呼ぶことが出来なかったのだろう。ここに極めて微妙なものがあると考えられる。物質的な生産の行為は一目瞭然のことである。だがその行為が人間生活の中にかかわりあい、様々の生きた意味をもってくる経路は、誰の目にもいつもはっきり見
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