者が生々しい戦場の記録として多くの感銘を与えたに反して、上田広のこの小説は、同じ感銘では受け取られなかった。「鮑慶郷」に於て作者は、戦争から一つのテーマを捉え来って、それを小説に纏めるという、作者の日々の条件からみれば実に驚くべき文学的努力を試みているのである。そして小説の様式も従来の小説というものの仕来りに準じている。読者は、作者の生きている境遇の烈しさをおのずから念頭においているから、題材だけ異ってあとは机の上でも書けそうな小説に面して、ある物足りなさと疑問とを感じたのは肯ける。戦争の間にそれを扱った小説が書けるか書けないかということを軽々に判断し得まいが、上田広の文学的意図と努力が何かの物足りなさを一般に与えたことは幾つかの理由をもっているだろう。最も重大なまた興味ある理由の一つは、戦争という巨大複雑な動きに対して、この作者の捉えたテーマは何といっても小さく浅いという印象を与えたことであった。作者一個の才能とか資質とかいう以外に、このことは現代文学が自身の歴史をどこまで文学の対象とし得る能力をもっているかという点で、文学の内と外とから考えられる課題であると思う。
このようにして
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