裂は、その頃「癩」「獄」等によって作家としての活動を始めた島木健作の芸術にも独自な姿で反映している。
 石坂洋次郎の「若い人」の芸術性にもこれが貫いている。この二人の作家の時代的な本質については、後にやや詳しく触れることとして、当時のこのような心理は、他の角度に於て武田麟太郎の市井小説の提案を生む動機となった。『人民文庫』による、武田麟太郎は、西鶴が市井生活のリアルな描写をとおして十八世紀日本の所謂元禄時代の姿を今日にまざまざと伝えていることに倣って、現代の市井のあれこれの営みの姿を描き、市井の「現実にまびれ」て生きることでその中から観念の戯画でない人間くさい小説を生み出そうとした。しかしながらこの創作の態度も、現実を観てゆくよりどころを明確にし得ない時代の本質を骨格のうちに分けもっているために作品の実際に当って風俗小説以上に作品の世界を高めることは困難であった。この時期に現れた永井荷風の「ひかげの花」谷崎潤一郎の「春琴抄」等が与えられた称讚の性質も見遁せないものを持っている。先に文芸復興の声と共に流行した古典の研究、明治文学の見直し等が、正当な方法を否定していたために、新しい作家の新
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