明者たちは、知識人の以上のような現実を消して、新リアリズムは知識人はあるがままの知識人として、作家はあるがままの作家としてあるがままの現実を描き出してゆけば、作品そのものが歴史を語ると規定しているとした。
 当時の気分にとってこれは便宜な考え方であったかも知れないが、明治以来の日本文学の成長のためには画期的な一つの蹉《つまず》きとなったと思われる。自然主義以来発達して来た個人主義的なリアリズムがその十年の間にようよう社会的なリアリズムにまで成長しかけたその萌芽が、この新リアリズムの便宜的な解釈と共に萎え凋んだ。そればかりでなく、時代の複雑な相貌の必然から、リアリズムは再びもとの自然主義後のリアリズムの古巣へ立ち戻ることも不可能である。その古き巣は時代の広汎な現実を包みかねるのである。リアリズムは謂わばこの時期に於て路頭に迷い出した。今日に引き続く不幸なリアリズムの彷徨の一歩は、当時に於て踏み出されたのであった。リアリズムの彷徨の一歩と現代文学に於ける自我の喪失とは、胡弓とその弓とのような関係で極めて時代的な音調を立て始めたのである。
 さて、文芸復興の声は盛んであるが、果して文芸は当時
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