由を失って後、同八年運動としての形を全く失うに到った前後は、日本文学全般が一種異様の混乱に陥った。
 例えば前に述べた新感覚派、新興芸術派などの場合についても分るように、この社会の知識人としての作家たちの自分の存在に対する自覚、確信というようなものは、文学上対立するものがあってこそ自分に確かめられていたようなものだったとも云える。文学上のその対立物が目前で蒙った破壊の有様の目撃は、知識人としての心理に於て、それを誹謗した作家たちにも不安と動揺とをもたらさずにいなかったことは明らかである。
 当時叫ばれた文芸復興の声は、プロレタリア文学の陣営に属していた人々の間から上った。しかし、その復興さるべき文学は、文学一般を漠然とさしたのであって、過去十年の間に重ねられて来た新しい文学の見解を継承し発展させようとするものではなかった。現実の認識の方法とか芸術の基準とか、そんなものはどうでもいい。作家は書いてさえいればいいのだ。書きたいように、書きたいものをさあ書いた、書いた! という風な調子で押し出されたのであった。
 外部からの圧力と共に、文学上の問題としては、かの芸術性の究明が不十分のまま、創
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