ら、作品活動としては大衆作家として存在しているこの人が、文学の芸術性、その至上性というものについての論議に触れると常にピューリタン的な擁護者として立ち現れることは、一つの芸術の分野ならでは見られない現象であろう。「新興芸術派」の主張するところは、文学についての新しい社会的な理解が持ち来している、作品の世界観の問題、社会的効用の問題、形式が内容に対して従属的なもののように見られている点等を非難して、それらの束縛、圧迫から解放された新興の芸術派をうち立てようとするところにあった。しかし、そのような新興の芸術として、どのような解釈の芸術性が見透されていたかと云えば、そこには同人達にとっても一口に説明し得るような一貫した新見解はなかった。往年の「新感覚派」はフランスやドイツの大戦後の芸術流派の影響の下に、表現の上にも横光利一の当時の作品のようにともかく奇抜であることだけは誰の眼にも明らかな試みをもったが、時を隔てて今現れた「新興芸術派」は大体の傾向として当然都会的なモダーニズムに立ったが、同人たちの作品の現実は、彼らによって否定された「新自然主義的なプロレタリア・リアリズム」を覆すだけの力を持
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