の一貫性が、その理解の多様性と共に作品を生命づけていなければならない。独自の社会小説というものもあり得ない。ヒューマニズムという豊穰な苗床さえ当時日本の文芸評論から理論性が消滅しつつあるという重大な危機を好転させ得なかった事実を思いあわせれば、長篇小説、社会小説が本質的な現実把握と文学的実践力を包蔵し得ないままに、ジャーナリズムの場面を賑わした必然も、おのずから会得されるのである。
四
牧野信一の自殺は、当時作家の生活感情に一つの深く暗い衝撃を与えた出来事であった。当時は純文学の作家が思想的にさまざまの苦痛混乱に曝されていたばかりでなく、経済的にも益々逼迫して来る不安におかれている時代であった。純文学作品は売れないというのが一般の常識で、しかもジャーナリズムが純文学に提供する場面には制限があり、生活的には殆ど大部分の作家たちが中年に達した家長として経済の負担を痛感し始めた時期であった。昭和十一年二月二十六日の事は、更に複雑な意味で、文学と作家の生活を考えさせた。従来の純文学作家といわれた人々がこの時期の前後に長篇小説への叫び声を一つの跳込み台として通俗小説に身を投じた心理にはこれらの事情も作用していないとはいえない。
昭和十二年になってから純文学に対する論議は極めて特徴のある歴史的な相貌を示し始めた。文学の対象として自我をとり扱い、私小説を中核に抱いて来た純文学が、社会の推移につれてその自我を喪失して卑俗な現実に属するしかない純粋小説論を生むに到ったことはさきにふれたが、この時期に到って知識人の文化発展における能力への懐疑、純文学の作家をおくり出して来た所謂知識階級の持つ批判精神への反撥として純文学批判が現れ始めたことは、日本文学の歴史の過程にあっても特に関心を惹かれる一事でなければならない。
『文学界』に属する作家評論家たちは、現代文学者の中でも「不安の文学」以来観念の重積を特色として来た人々であると思われるが、このグループが新しい熱心で純文学批判をとりあげたことは興味がある。
純文学が一般の読者にとって魅力がないものとなって来たのは、それを書く知識人と民衆とが、別々の生活感情に生きているからだというのが、新しい純文学と知識人批判の第一行目であった。社会の現実はどんどん推移しているのに作家ばかりは永遠の文学青年じみた自我の問題などに捉
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