先ずそれを唱える人々が、その不安を追究する方法をもっていないことで忽ち深い混迷に陥った。社会と文学との感覚で不安は感じられているのだが、不安の彼方に何を求めて、どう不安を克服しようとしているのかと云われると、その答えは不確なものたらざるを得なかった。不安への批判の精神を否定した出発は、窮局に於て人間精神が不安に翻弄される結果となり、不安を自己目的として不安する状態を、精神の高邁とするようなポーズをも生じた。人間のモラルを現実とのとりくみの間にうち立ててゆくことが目指されずに、観念の中でモラルを模索しているその自己の意識の周囲を我と眺め味い歩きまわる作家の態度は、当時横光利一によって代表された。彼の云う「高邁なる精神」「自己探求」「自意識の文学」等の標語は悉く、以上のような当時の文学精神によったものであった。
「新興芸術派」時代「主知的文学論」をもって立った阿部知二の「知性」の本質も根本に於てはやはり横光利一の「高邁なる精神」と同様に、現実的な人間像への芸術的肉迫を回避して、自我の意識の中で主観的に或はロマンティックに感得されている知性である。文学の傾向としてこの二者が当時相呼応するものとして現れたのには当然の理由があった。
この前後に小林秀雄が評論家として生い立って来たということもまたまことに時代的な特徴を完備している。「批評とは己れの夢を語ることだ」というのが、当時の小林秀雄の思想の背景であって「あらゆる人間的真実の保証を、それが人間的であるということ以外に、諸君はどこに求めようとするのか? 文芸批評とても同じことだ」「プロレタリア派だとか、芸術派だとか云ってやぶにらみしているのは洵に意気地がない話である。」あらゆる芸術は精密な観念学に外ならない。そしてその観念学は常にその人々の全存在とその人の宿命にかかっているとする小林秀雄は、あらゆる芸術家と作品の中に「人間情熱の記号」「誠実な歌」「人間的なるもの」を掘り出すことを職務として表明したのであった。しかしながら彼の云う人間の全存在、或は宿命とは、その実質に何を指しているものであったろうか。芸術は人間的血肉の所産でなければならないという普遍性は、彼を待つ迄もなく古き一般論の土台である。彼の「観念学」はその倚ってかかっている特定の全存在、宿命の具体的な相貌を解きほぐす点になると遺憾ながら全く無力で、「作家が己れの感情
前へ
次へ
全37ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング