復興したであろうか。声が響いているばかりで、現実には新たな文芸思潮というべきものも生れなかったし、新しい意味を持った作品の一つも出現しなかった。
 この実際の事情は、文芸復興を提唱した一群の作家たちにいい作品を生むためには先ず古典を摂取せよという第二の声を起させた。作家の間にバルザック、ドストイェフスキー、スタンダールなどの読み直しが流行したのであったが、この古典の読み直しに際しても所謂《いわゆる》新しいリアリズムの解釈法が附きまとって、例えば、バルザックについての目安は、このフランスの大作家が王党であったにも拘らず小説に描いた現実は当時のフランスの歴史を進歩の方向で反映している、即ち作家の社会的見解などにかかわらず、小説はそのものとして進歩的なものであると云う文芸復興提唱者たちの日頃の持論を裏づけるところに置かれた。歴史的な生活感情の相異に対する敏感さを欠いた古典のかような味い方が、当時の古典流行から何一つこれぞという文学上の収穫をもたらさなかったことは、むしろ当然というべきではないだろうか。このような古典研究から導き出されたものはロマン派のギリシャ文化への憧憬、日本の古代文化への超現実な渇仰等であった。
 古典から学べという声は、つづいて作家の教養を高めよという問題をもひき起した。日本文学の伝統の中には従来作家の作家気質ともいうようなものがあって、作家は教養で書くのではない、作家魂で書くのだという心持ちが流れて来ている。この気分は、例えば新感覚派や新興芸術派の無理論性となって現れたし、作家は何でも書きさえすればよいという当時のリアリズムの解釈法の底にも流れ入って、社会的な心理の傾向と綯《な》い合され文学の現実追随への一条件となっているのであるが、今日顧みて興味あることは、当時改めて強調された教養を高めよの問題では、これまで作家の主観の中では頼られていた作家魂の衰退が、暗黙に告白されている点である。作家魂という表現も、つまりは作家に自覚されている自我の誇りに拠っていたものであろう。当時云われた教養を高めよということは謂わばその作家魂の主体を失った人々が、教養でその空隙を埋めようと志した試みの一つであったが、既に教養が文学創造のための何かの足しになるためには必須な現実判断の力を我から否定している以上、この教養へのあがきも文学を肥え太らすものとしては甲斐がなかった。

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