っている。
 正月になってから街へ出た不図した折に、私はある店で小さい鈴を見つけた。財布につける極くありふれた鈴で、赤い緒のちょいとついた一個八十五銭ほどの鈴である。何心なく手にとってその鈴の束の鳴る音を聴いていたら、同じような小鈴ながら中にはいくらか澄んだいい音色のものもあって、可愛い心が誘われた。
 馬だって初荷のときは鈴をつけられる。私の弟のやさしい従順な家内が、あんなに朝から晩まであれこれ心をくばって暮しているのに、腰紐に小さい鈴が一つくっついていて、朝身じまいをするときだの、夜着物をきかえる時だの、何処かでチリリと鳴ったとしたら、やっぱりそれはわるい心地もしないだろう。
 同じ店にあった紅の小袋にその鈴をいれて、お年玉とした。これは、今年のお祝いよ、歩めよ小馬、のお祝いよ。そう云ってわたした。
 いろんな女のひとの生活をみていると、この頃では二十五六歳という年が、複雑な内容でその人たちの行く手に現われるのがよくわかる。何か一つ遣りたいこと、しとげたい目的をもっている女性にとって、二十五・六という年は結婚とも絡んで愈々そのことに本腰にならせるか、或は余技的なものにするかという境
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