山飼ったことがある。ろくに見もしないうちに、その一時の物好きが止んだので、私が自分の家の中に、こんな小鳥を持ったのは、真に久しぶりのことなのであった。
出て行って、水浴びの出来そうな鉢を買ったり、巣を買ったり、楽しく世話をやいた。名が急には覚えられないので名刺のうらに書きつけた名札を籠の隅に貼り、良人の注意が主で、今日まで家族の一員となっているのである。
年が更った今いるのは、多く代がわりになった。
或るものは死に、或るものにはふいとしたことから逃げられ、新らしいのが来た。いろいろ慾が出、綺麗なのが欲しかったり、強がりのが憎らしかったりするうちに、小鳥の性格も感じられるような気がして来た。
人間にも、顔の異るように性格の差異がある。小鳥も羽色の異う以上それの無いことはないであろう。あるものと仮定して、私の観察は意味を生ずる。
人間の日常生活が、男といい、女という性の異いに有形無形、どれほどの影響を受けているか、やかましい理窟も云わず、手を一つ上にあげても判ることと思う。小鳥の世界にもその異いは随分あるらしい。
曾て何かの時に買った雛子《ひよこ》の玩具があった。いつも本棚の隅に、ふくぶくな姿を見せている。或る日、何心ない遊戯心から、それを彼等の籠の中に入れて見た。同じ仲間の剥製を、何と思って見るだろう、それが知りたかったのである。
畳の上に手をついて見ていると、なかなか気が附かない。止り木の上に並び、暖い日を浴びている彼等は、飛びもさわぎもせずに、微かに嘴などを動かしている。
やがて、雌のじゅうしまつが、ふいと群から離れた。ひょい、ひょいと、下の枝に来る。餌を拾おうというのであろう。うす黄色い鶏の雛子は、入口の直ぐ前、餌から一尺も此方に立たされているのである。
何心なく下りて来た彼女は、一寸の所で、雛に心付いたらしい。そこに止り、しきりに頭を動かし、右、左に移って覗いている。――腰をおろし、さて、思い切って飛ぼうという姿をするが、また不安心で、頭を動かして下を見る。(小鳥は、物を見ようとすると、眼玉を動かさず、頭部全体を傾け、うつむけて物に向く。)頻りにそうやっているうちに、どうも敢て近づく気がしないのだろう、ちょん、ちょんと、また元の枝まで戻ってしまった。それでも気になるらしく、低い声で、喉を鳴らしているのである。
今度は、同じ鳥の雄が来た。やは
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