意のときでも、ちゃんと手帳を出し、一々書きつけるのを、憎らしいと思った。
「誰の世話で来たのか、この家に」
 いしが、愛素を失うまいと口を出した。
「博労の重次さんが、手前で困ってるのを見かねて、ほんの目見得につれて来てくれたんですよ。まだ一月もおりませんのです」
 駐在は、いしを見向きもせず、訊問をつづけた。
「お前、さっき××寺から出て来たが、中で何をしていた?」
「まあ! ××寺へ行っていたなんて……」
「おい、何しに行っていた、ちゃんと云わないと警察につれて行って調べなきゃあならんぞ」
 ろくは、哀れな顔をして泣き出した。
「御免なさい……私……」
「私がどうしたんだよ、泣いたって仕様がない、はきはきしな」
「私……」
 ろくはますますしゃくり上げた。
「私……何も盗りはしません、ただあすこにいる権……権さんのところへ行っただけです」
「誰だい、権というのは」
「……権さんです」
 駐在は、短い鉛筆で手帳を叩いた。
「――権さんだけじゃあ分らない」
「……ああ、じゃああの男が権さんていうのかい、こないだ蒲団を背負って行った出眼の男が」
 ろくは、合点をした。いしは、吻っとした心持を覚えながら説明した。
「何でございます、権さんてのは、××寺の寺男のようなことをしている、矢張り、まあ一寸、気がよすぎる男のことです」
「ふーむ」
 駐在は、やや興味を殺《そ》がれたように見えた。彼は、片手で顎を撫でながら、考えていたが、また訊き出した。
「もとは何処にいた?」
「町です」
「鎌倉か?」
「ええ」
「××でもしていたんだろう」
「御冗談でしょう!」
 いしが高飛車に応じた。
「御覧になったって分りますわ」
「本人に訊いているんだ。――お前男と関係したのは今度始めてか」
 ろくは、汚く涙で穢れた眼の隅から、駐在を偸見て体を揺った。
「町でも何かあったのか」
 これは滑稽な問答であった。ろくは、真面目に、
「――ええ、あの牛乳屋さんが」
と白状した。然し、何という牛乳屋かというと、ろくは、名も住所も知ってはいなかった。駐在は、始りの緊張を失い、ろくの愚しさを慰むように、次から次へ、
「それから、もうないか」
と訊いた。ろくは、隠すと、牢にでも入れられるかと思うらしく、本当に正直に答えた。
「いいえ……あの巡査さんも……」
 駐在は、
「ふむ」
と、妙な咳払いをした。いし
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