する間もなくお石への借金は倍にかさむことになった。アヤが死んだ。葬式の金がなかった。小祝の一家のために、ほかの誰から融通が利こう。
 祖父ちゃんとミツ子を紐でおんぶった祖母ちゃんとが、火葬場からアヤのお骨をひろってかえって来た。
 祖母ちゃんは、戸棚の奥へ風呂敷包みをつみかえ、前の方だけあけ、そこへ水色の富士絹の風呂敷をひろげてアヤのお骨壺をのせた。
 乙女が今度通いはじめた郊外のけちなカフェーから早番でかえって来ると、祖母ちゃんはミツ子の足をだらりとたらしておんぶったままその前に坐って、
「――もう赤い布《きれ》っこも、いらねようになった……」
 静かにそう云い、お骨壺から目をはなさず、
「ハあ……」
と溜息をついた。勇がかえって来て突立ったまま、見馴れなそうに、ばつ悪そうにアヤの骨壺を見た。それから、ピョコンと頭を下げて礼をした。
 泣く者は誰もなかった。ミツ子は両肩の間に圧し込んだようなおかっぱを乙女の方にふり向けて幾度も、
「お! お!」
 食いものでないのが残念という風に骨壺をよごれた指で指さした。
 アヤの骨をどこへ埋めるにも、どの寺へ預けるにも、今や祖父ちゃん祖母ちゃんには故郷というものがなかった。――
 居据ったような上京当時からの貞之助の態度が、次第に失われはじめた。乙女はそれを、祖父ちゃんの坐り工合からさえ何となく感じた。
 新しく借金がふえてから、お石は三日にあげずやって来た。勉はこの頃家へよりつかないらしいがどうしているかだの、乙女の出ているカフエ[#「カフエ」に傍点]はどこかだの詮索するときいて、乙女は、
「祖母《ばっ》ちゃん、気いつけな」
 瞼に力を入れ、真剣に云った。
「何されっかしんないよ」
 金になることなら何でもしかねない。自分のいるカフェーへ押しかけて来る位ならまだましだ。そう思って乙女はお石に恐怖を感じた。そのとき、祖母ちゃんは、わかったような、分らないような工合で、
「そうだなあ」
と答えていたが、寝てから考えたと見え、次の朝、台所のバケツで乙女が勉のシャツを洗っていると、わきへ来て洗濯ものをかき廻そうとするミツ子をおさえながら、
「――伯母《おんば》は、きのう来たとき、乙女も赤の手つだいしているんだろと、云っておった」
と報告するように告げた。
「ほーれ、見な! 祖母ちゃん何て云った?」
「――カフエに出ておるもん、カフエに出ておると云ったけんどさ」
 乙女は、自分のいない留守を心配し、
「祖父ちゃんにもようく云っときな、ねえ」
と注意した。この頃、貞之助は天気がよければ古い乳母車を押して、子供対手の駄菓子を売りに歩いていた。
 夕方、およそ勇とかつかつの時刻に家の近くまで戻って来ると、祖父ちゃんは用心して裏の露路から空身《からみ》で入り、お石のいないのを確かめて表へ乳母車を押してまわった。一度かち合って、貞之助は細い売り上げの中からお石に十銭とられた。もう懲りているのであった。
 格子がガラリとあき、続いて乳母車の前輪を持ち上げて敷居を跨がす音がすると、ミツ子はどこからかそれをききつけ、抜からずころがり出して来た。
「お! お! じっちゃん!」
 強情そうな小さい額を剽軽《ひょうげ》た悦びの表情でつり上げ、
「かしくいて!」
 小さい足をとんび脚に坐って四角い風呂敷包みに黒い両手をかけた。
「これ、祖父ちゃんがあがってからむ[#「む」に傍点]らえ」
「いやーン! これ、あたいんちのよゥ……」
 祖父ちゃんは黙って上り框《がまち》に腰かけ、砂糖のかかったビスケットを一つ二つミツ子の手に握らした。ミツ子は、上眼で一人一人祖父ちゃんから、祖母ちゃんへと眺めながら、出来るだけの速さで一どきにそれを頬ばる。――
 台所での問答があってから、五六日後のことであった。十時頃乙女が、ひどいときは三日に一度ぐらいしか番のまわって来ない「すずらん」に坐っている間に編んだレースの内職を届け、六十銭ばかり貰って坂をぶらぶら中途まであがって来ると、むこうの方からおまわりがやって来た。片側は杉苗の畑で、道は一本である。悠《ゆっ》くりのぼって来ながら乙女が見ていると、そのおまわりは一軒ずつ表札を眺めて来て、小祝の紙切れを貼り出してある格子の前へ立った。あけて、入って、高い声で、
「こんちは――いませんか」
 呼んでいる。乙女の息は坂をのぼったためばかりでなくせわしくなって、思わず口をあけるようにしその辺を見廻したが、さり気なく二軒ばかり手前から曲って裏へまわった。
 折から、祖母ちゃんがバケツを出し洗濯ものを乾しかけてある。それをしぼり、竿にかけてひろげながら、物音たてず土間での応待をききすました。
「家族は、そうすると今のところ五人か?」
「さよでございます」
「その子は……ああ、ミツ子か」
 おまわりは、帖
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