を食べさせた。
 三畳の方にある寝床に入ってから、勉が小声で、
「祖父ちゃん、一日何しているか?」
と乙女に訊いた。
「――坐ってたよ」
 そして、おっかないことでも云うように乙女は一段と声をひそめた。
「祖父《じっ》ちゃん、ぼけてしまったんであるまいか――」
 勉は返事しなかった。そうやって頑固に坐って、祖父ちゃんは自分の暮しぶりを観察している。そのことを勉は感じた。本当に自分が働き出さねばならないか、さほどでないのか、見ているような貞之助の黙りこくった気分が、勉に苦々しく映っているのであった。
 毎日、五時頃になるとダラダラ坂の下の通りにあるラジオ屋の前へ出かけてゆき、職業紹介の放送をきいたり、少年らしい赤い頬に青いシェードの灯かげをうけながら、長いこと飾窓に眺め入っていた勇が、一ヵ月ほどして、京橋の方にある会社の給仕に雇われるようになった。二ヵ月払い五円二十銭の古自転車を勉が見つけて来てやった。勇は嬉しそうにそのペタルを踏んで通い、夜帰って来ると、
「今度の会社、でかいよ。僕らぐらいの給仕が五人もいるよ」
 A市の銀行の小ささがわかったという風に口をとがらして云った。
「だけんど――皆がおらこと」
といつか国言葉に戻り、
「チビの癖して、しわん坊だつ[#「つ」に傍点]からやだなア」
 その会社では給仕仲間で、互に奢りっこが流行《はや》っていた。勇は奢られて食べるが、奢りかえせないのでそう云われるのだった。祖母ちゃんがつかみ針でミツ子の附紐をつけ直しながら、
「――そんだら、勇、くわねばいいのに――」
と心配げに云った。勉が珍しく早めにかえって机に向い仕事をしていた。
「そんなこと気にすることはいらんよ」
 大きい口元を動かし、やさしく、励ますように云った。
「勇は、家をすけてるんだから、無駄銭つかえないからって、威張っていいんだゾ」
 兄貴に似て、色白く、ずんぐりだが口元は小ぢんまりしている勇は、抗弁もしないが、賛成もせず、長まって月おくれの「子供の科学」をめくりはじめた。こんな場合乙女は祖父ちゃんにも一言何とか云って貰いたかった。然し、祖父ちゃんは、黙って坐り、煙草をふかしているのであった。
 ところが、この祖父ちゃんも遂に他人にまざってものを喋り、馴れぬ東京の街を歩きまわらねばならないことが起って来た。A市にいた時分からよく寝ることのあったアヤが大分手のこんだ結核性の腹膜炎で病院に入れなければならなくなったのである。
 勉はその頃仕事のいそがしさと身辺の事情から家に毎晩かえるということが出来なかった。乙女が、祖父ちゃんの下駄をそろえて三河島の伯父のところへやった。年はおつかつだが貞之助の伯父に当る勘吉は十何年来町役場の書記を勤め、東京にあるたった一軒の親戚であった。勇の月給十七円の中から返す約束で当座医者へ払う金をかり、役場の手づるでアヤを方面委員の手で療治させよう。やっとその智慧を搾り当てたのであった。
 勘吉の三度目の女房のお石が、二三日すると、貞之助に印をおさせるために借金証書をもって、やって来た。
 お石は、障子のやぶれた上り口を入るなり、
「田舎もんは仕様がないもんだねえ。家の片づけようもろくそっぽ知りゃしないんだねえ」
 大仰に、色足袋を爪立てて、さもきたなそうに袂をかき合わせ、ただ一枚の座布団に坐り、ジロジロ臥ている病人のアヤやそのあたりを見廻した。そして、叮嚀《ていねい》に襷《たすき》をとって半白の頭を下げる祖母ちゃんに向い、
「御方便なもんですよ、ね、ふだんは出入りもしないどいて、金のいるときだけ役に立つのも、親戚だからさ。へえ、これに一つ、印して下さい」
 乙女は、眉をつり上げるばかりか、痩せた両肩までをつり上げたような恰好で、ミツ子をおんぶい、お石の出す銭を握り、十銭の焼酎とあげもの五銭を買いに出た。勉は、この酌婦あがりで、近所でも評判の伯母夫婦とは何年も行き来せずに暮して来たのである。
 乙女が、一合ぐらい入りそうな空ビンをおんぶした手にもって出ようとすると、お石が、
「ちょいと、このし[#「し」に傍点]とったら! それで買いにいくつもりかい?」
 たとえ買うのは一合でも四合入るうつわ[#「うつわ」に傍点]をもって行かなければ、一合より少くしか売ってよこさない。お石の世渡りは万事この調子なのであった。
 ミツ子が、目を皿のようにしてチャブ台の前に釘づけになり、揚げものにさわるぐらい近くへ手をのばして指さし、
「あれ、くいて[#「くいて」に傍点]! かあちゃん、あれ、くいて[#「くいて」に傍点]」
とせびった。お石は、女の子がイーをするときのように下唇を突出し、
「これ、くいて! か?」
と口真似をしながら、悪《にく》しみの現れた眼でミツ子を眺め自分ひとり焼酎をのんでは、揚げものを突ついた。
 
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