かなかった。
 お石が、出入りするようになってから賃仕事を持って来て、祖母ちゃんと乙女とに稼がせた。木綿物一枚二十五銭で、糸はこっちで持つのである。けれども、この賃仕事は弁口のうまく立たない二人の女にとって何か恐ろしい仕事であった。きちんと約束の日早めに二十五銭もってお石がやって来た。
「へえ、ここへおきますよ。お使者を立てて、いながらのお仕事だから、御身分のいい方は違ったもんだね」
 最後の糸を、祖母ちゃんが歯でかみ切り、縁ばたに出て仕立上った着物を、パタパタとはらうと、例によって焼酎をのみながら待っていたお石がすぐ、
「どれ?」
と検査した。自分で癇癖そうに畳みつけて、暫く敷き圧しをした。そして、帰りしな、仕立物の風呂敷を抱えて立ち上ると、片手を祖母ちゃんの、時には乙女の腺病質らしい鳩胸の前へさしつけ、
「おかず買ってかえるから二十銭おくれ」
 お石は睫一つ動かさずぴったり顔を見据えてそう云うのであった。あまりのことにこちらはゴクリと思わず唾をのむ。対手に圧されてことわる言葉も出ないうち、むざむざとそこにある小銭の中から二十銭というものをとられてしまうのであった。
 乙女がカフェー働きの決心をしたには一日も早くこの鬼をのがれるためと、他にもう一つ原因があった。
 勉が安全に活動をつづけて行くためには、家をはなれ、よそに室を借りる必要が迫っていた。
 最近も雑誌が製本屋へ廻ったとき狙われはじめたことがわかったので、勉は機会をうかがい敏速に数百部の雑誌を運び出してしまった。急のことで発送する場所がない。円タクを盲滅法に市外まで走らせて、或る雑木林へその荷物をかつぎ込んだ。ちょうど土曜日のひる過のことであった。勉が重い荷物でよろめきながら、麗らかな陽のさしとおす欅やクヌギの間を林の奥へ奥へとわけて行くと、不意に芝草の生えた狭い平地へ出てしまった。草の上に、三人若い学生が寝ころがって喋っている。むこうもこっちもびっくりした。学生は一時に話をやめ、一人は起き上ってソフトをかぶり、大きい口をキと結んで荷物を下げている小男の勉を眺めた。
 引かえすわけにも行かず、勉はそのまま進んで再び平地のうしろに続いている樹の茂みにわけ入った。いい加減のところで腹をきめ用意の紐や紙をとり出して、包装をはじめた。暫くやっていると、学生たちのいる平地の方角から、高く口笛が響いて来た。勉などの知
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