小さき家の生活
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)略《ほぼ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)彼と云う人[#「人」に傍点]それ自身を愛したのだ。
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一九二一年の十一月十四日、自分は不図、自分等の小さい家庭生活の記録を折にふれて書きつけて行く気になった。
或年まで生活し、後、振返って其経験を分解し、観察して見ることは、勿論興味あることだろう。然し、そうではなく、幾年か、感興が起るにつれて、その当時の心境なり、事件なりを、如実に描くことは又楽しい。結婚後、まる二年の年月を経、今、自分は、少くとも当面の生活には馴れたことを感じる。同時に落付いた。胸をわくわくさせるような物珍らしさが去った代りに、又文字に書き写せる丈、心に余裕が出来たのである。何年まで此が続くか、如何那ことが起って来るか、書く私自身も知り得ない未来が、我々の将来には横って居る。
家
Aが帰朝したのは、一九二〇年の四月二日である。帰った時、私は横浜から真直に彼をH町に伴った。勿論二人の棲むべき家が、何処に在り、如何なるものだかも問題にして居なかった。
第一彼の職業がまだ定って居ない。どれ程月給が取れるものだか、又どれ程人間二人の生活費が必要なものだかも分って居ない。私は、当分H町の、離れた二部屋を自分等の巣とする積りで居た。
十幾年振りかで故国に帰り、それと、結婚したからこそ帰る気にもなったと云うような彼に対して、自分は、あらゆる温みをこめて、此小世界に幾月かを費すことを信じて居た。
私の部屋として建てられた八畳と四畳ほどの部屋は、自分等二人を容れるに狭くはないだろう。私のために、出来る丈快く、出来るだけ閑静にと考えて建てられた場所は、彼にもそのプリブレージを味わせて充分潔よいものであると信じて居たのである。
けれども、十五日も経つと、自分は、期待に反した苦痛を味わなければならないのを知り始めた。非常に工合が悪い。
Aは、私一人に深く結びついては居ても他には父を除いて余り馴染みない周囲に対して、そう自由には振舞えない。彼の性格が、そんな呑気さを許さない。従って、どうしても、自分等の場所と定った部屋に籠って、私を傍に持ちたいのである。
然し、長年、私を「Yちゃん、一寸!」と一声呼んだ丈で自分の傍に所有出来た家族は、何となく第三者の侵入を意識する。何となく拘泥する。
私には、両方ながら自然に思われるけれども、実際の問題に当っては、非常に神経を使い、苦しまなければならないのである。
特に、自分の場合では、お前が自分で引込んだものと云う心持が、暗々裡に彼等を暗くして居たのではあるまいか。女中の忙しさも、食事時の混雑も、要するに彼が殖えた為だと云う、uninvited guest の煩ささを彼女等の眉に読む。両方を愛す自分は、心の痛むのを感じる。夕飯の時、台所に出て女中を手伝い、
「御飯よ」
と云い乍ら皆を呼んで歩くことは、決して、先のように楽しい、活動的な悦楽ではなくなってしまったのである。
母が、元、私に養子をする積りであったと云うことが、一方問題を一層混乱させた。
「C・O」と云う家族の姓名に、殆ど世間知らずに近い愛すべきグローリーを感じて居る彼女は、Aが、彼の名をすて、それに属すことによって、遙によい社会的地位を得、世間の人間の信用を増し、結局、私の為に幸福になると云われる。が、自分には、それがフェーアであると感じられない。自分は名が何であろうと、彼と云う人[#「人」に傍点]それ自身を愛したのだ。所謂世間に通用させる為に、姓を変えるなどと云うことは、寧ろ恐るべき人としての屈辱であると主張した。
私は、姓によって、彼を遇することを異るような世間には、世話にならないで生きて行くと云った。真個に、我々が生きて行く世界は其那浅薄なものではないのだ、と断言した。が、母上は、我々の突然な結婚によって受けた苦痛、恥辱の感、それを如何《ど》うして償うかと云うことを根拠として、強く、彼女の意見に執されるのだ。
我々にとっても、彼女にとっても、恐らく家族全部にとって、一九二〇年の春は重苦しく、辛いものであった。
私は、母上の心情にも同情し、理解したが、同時に、至純な、親と云うものの概念に恐ろしい汚点をつけられた。自分は、彼等を何だと思って居たのか、とさえ思った。彼女自身は、自分の愛は、親の愛であるが故に尊く浄く、且つ正当なものであると信じて居られるだろう。然し、実際はどうだ。私の為、私の為と云い、思い乍ら、つまり我意を拡張させようとする。自分が見る丈の世界でよし[#「よし」に傍点]とするもののみを、我々の上に実現させようとされる。彼程、お前の愛す者なら、良人として何人も認めると云われはしても、若し、母上の撰択のみに従い、母上の批評にのみよって居たら、恐らく自分の一生は、単に彼女の誇るべきY子にのみ終始して仕舞うのだろうとさえ思った。
其時分、自分は、親の愛と云うものに極度の反感を抱いた。それを包んで、彼女を立ててあげようと振舞うような性格に自分は生れ付いて居ない。Aを取るか、母上につくか。
自分は、どうして責任を以て開いた彼の新生活を絶望させられよう。彼が、私一人の愛によって、何が自分を待迎えるか予想もつかない新生涯に這入ったことを思うと、涙が湧いた。此点では、自分も同じだ。もう、母上の憤りと、涙と、哀願によって、愛人を捨てるには、自分は余り一人の人間になって居る。
彼女のヒステリー、私の精神の混乱。Aや父上の忍耐の幾日かの後、到頭、私共は自分等で、別に家を持つことになった。
AはA家の戸主で、移籍が出来得ない。それならば私は、もうA家の者になったのだから、良人の家に移るのが当然であり、Aが、結婚した以上、其位の責任は持つ覚悟だろうと、母上が提議されたのであった。
今、その時分のことを思い出すと、自分は、眼をそむけたいような心持さえする。
何故、母上はあれ程、常軌を逸さずには居られなかったのであろう。あんなに賢明であられても、見る宇宙は小さいものであると思い、同時に、子にばかり縋って、その従順の裡にのみ生活の意義を認めて行かれる態度は、真心からお気の毒に思う。私ばかりではない。結婚、恋愛の問題は、Kにも、Hにも、Sにも起って来るだろう。
幸にして、彼女の希望と一致すれば、何も云うことはない。然し、そう行かなかった場合――第一、彼女が標準とする社会的地位、名望と云うものの標準が異った場合、母上は、又私に於て繰返したと同じ苦悩を経られるのではないだろうか。
自分は、決して彼女が愚でない丈、苦しみの多いのを知り、どうかしてあげたく思う。然し、私の力で、彼女の裡に生え切った性格をどうされるだろう。彼女は左様な点に於ては、私を、子と云う階級の一歩外へも出ることを許されないだろう。
兎に角、私共は、AがK大学に古典を教える目算がついた許りで、新居を探さなければならないことになった。
全く、家なき者!
私共は、もう夏になり、暑い戸外を二人で、空屋から空屋と探して歩いては、失望して、居辛いわが家に帰り帰りした。
「なに、見つかるものかね。Aさんにその気がないもの」
「どうして? でも探して居るのよ。此頃家がないんですものね、困るわ」
「――まあ見て居て御覧。きっと見つからないから」
自分は、母上の皮肉な微笑を、其時理解するに苦しんだ。
Aは、黙って、毎朝昼近くまで一廻りずつ附近を廻って来る。
〔約二百字欠〕むほどはっきり思い起した。――
余り、横道に入らず、又、家のことに戻ろう。
今居る片町十番地の家が見つかったのは、八月の下旬であった。
赤門前に頼み始めた頃から、此処に空家のあることは分って居たのだ。が、自分には余り場所が悪く思われた。恐ろしく貧弱に感じられた。其上、先住が建てた風呂場を二百円で買うか、従来、三十幾円の家を五十円にするか、と云う条件つきなのである。
大家の、虎屋と云う米屋が、家賃をむさぼることで近所で有名であると云う噂が自分を恐れさせた。出来るなら、其那面倒のない、其那無気味な大家の所有でない家に、仮令暫くでも棲みたく思ったのである。
市外ならば、其程見出すのが困難でもないらしい。然し、自分等二人ぎりで当分はやって行こうとするのに、瓦斯も水道もない処で、どうしよう。要心のことも考えなければならない。
貸家住いと云うことを知らず、家のないなどと云うことが、いつ当面の困難となるか思いもしなかった自分は、憤ろしいほど苦痛を受けた。
一家の中で、他の誰も同様の熱心を示して呉れず、二人きりで焦慮し、新らしい生活の準備をしようとする心持は、何と云ったらよかろう。お祭りのように所謂お嫁に行った者は、一生経っても、此我等二人、と云う、深い淋しい身の緊る感銘は受け得ないだろう。Aは、国から五百円都合して貰った。其金と、自分等の書籍と、僅かな粗末な家具が新生涯の首途に伴う全財産なのである。
兎に角、いくら探しても適当な家がないので、仕方なく、まだ人の定らない、十番地の家にすることに決定して仕舞った。
敷金と、証文とをやり、八畳、六畳、三畳、三畳、台所、風呂場、其に十三四坪の小庭とが、我が家となったのである。
八月の二十八日から九月三日まで、Aは毎朝早くから、善さんと、新らしい家の掃除に出かけた。善さんと云うのは、出入りの請負の下働で、当時、H町で、隠居所を建てて居た為、彼は毎日顔を見せた。少し耳の遠い出歯の、正直な男で、子供の居た先住の人が住み荒した廊下、障子、風呂場、台所の手入れに、大工をつれたり、自分で来たりして、助けて呉れたのである。自分は、掃除には一度も来られなかった。二十日以後から体の工合が悪く、熱を出して床について居た。炎天を、神経質になって家探しや買物に歩き廻ったため、疲労で弱ってしまったのである。
引越しの日は、晴れて暑い残暑の太陽が、広い駒込の通りを、かっと照して居た。
午前中本箱や夜具、トランク類を、石井の荷物自動車にのせ、英男が面白がって後につかまって送って行った。大工、善さん、おまつ等がAに手伝い、略《ほぼ》、片がついたと思う頃、自分は俥で出かけた。
始めて出来た自分等の家に行くのだけれども、母上に
「左様なら」
と云う心持にはなれない。改ったことを云うと、今にも涙がこぼれそうに感じ、二階に居られる処へ行って軽く
「行って参ります」
と云い、何も返事を得ない先に、いそいで玄関から俥に乗った。
始め、此家が今に空くのだそうだ、と云うので、赤門前の男から知らされ、まだ、人が住んで居た時分、或夜、見に来た事があった。
勿論中へは入れない。崖の上の狭い平地の隅から、低い板塀越しに、中をちらりと覗いた丈であった。後、もう一遍、来たことがある。いずれも夜であった。従って、周囲の有様や、家そのものの感じも、あまり露骨に見えなかった。
処が、只さえ万物を乾き、美しくなく見せる残暑の真昼の中で俥から下りると、自分は、殆ど、一種の極り悪さを感じる程、家は小さく、穢く異様に見えた。
武岳と云う医者の横と、葉茶屋の横との、三尺ばかりの曲り口も、如何にも貧弱に、裏店と云う感じを与える。
木戸が開いて居るので、庭へ廻り、ささくれた廊下や、赤土で、かさかさな庭を見、此が自分の家になるのかと、怪しいような心持さえした。
H町に暮して居た種々な、ややアリストクラットな趣味や脆弱さが抜けて居ないので、自分は、静に生活を冥想する場合には、予想し得ないような、階級の差別感に打たれたのであった。
いきなり格子を開けると玄関になるのを妙に思い、当惑したような微笑を漂せ乍ら、本棚の並んだ八畳を見た。
Aは、重い棚を動かし乍ら
「どう? 気に入りますか?」
と訊いた。彼の姿を見、自分は、種々なこだわりを忘れて
「結構じゃあないの?」
と云った。
「まだ馴れないから変だけれども、段々よくなるでしょう」
「随分、よく日が当
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