に所有出来た家族は、何となく第三者の侵入を意識する。何となく拘泥する。
 私には、両方ながら自然に思われるけれども、実際の問題に当っては、非常に神経を使い、苦しまなければならないのである。
 特に、自分の場合では、お前が自分で引込んだものと云う心持が、暗々裡に彼等を暗くして居たのではあるまいか。女中の忙しさも、食事時の混雑も、要するに彼が殖えた為だと云う、uninvited guest の煩ささを彼女等の眉に読む。両方を愛す自分は、心の痛むのを感じる。夕飯の時、台所に出て女中を手伝い、
「御飯よ」
と云い乍ら皆を呼んで歩くことは、決して、先のように楽しい、活動的な悦楽ではなくなってしまったのである。
 母が、元、私に養子をする積りであったと云うことが、一方問題を一層混乱させた。
「C・O」と云う家族の姓名に、殆ど世間知らずに近い愛すべきグローリーを感じて居る彼女は、Aが、彼の名をすて、それに属すことによって、遙によい社会的地位を得、世間の人間の信用を増し、結局、私の為に幸福になると云われる。が、自分には、それがフェーアであると感じられない。自分は名が何であろうと、彼と云う人[#「人」に傍点]それ自身を愛したのだ。所謂世間に通用させる為に、姓を変えるなどと云うことは、寧ろ恐るべき人としての屈辱であると主張した。
 私は、姓によって、彼を遇することを異るような世間には、世話にならないで生きて行くと云った。真個に、我々が生きて行く世界は其那浅薄なものではないのだ、と断言した。が、母上は、我々の突然な結婚によって受けた苦痛、恥辱の感、それを如何《ど》うして償うかと云うことを根拠として、強く、彼女の意見に執されるのだ。
 我々にとっても、彼女にとっても、恐らく家族全部にとって、一九二〇年の春は重苦しく、辛いものであった。
 私は、母上の心情にも同情し、理解したが、同時に、至純な、親と云うものの概念に恐ろしい汚点をつけられた。自分は、彼等を何だと思って居たのか、とさえ思った。彼女自身は、自分の愛は、親の愛であるが故に尊く浄く、且つ正当なものであると信じて居られるだろう。然し、実際はどうだ。私の為、私の為と云い、思い乍ら、つまり我意を拡張させようとする。自分が見る丈の世界でよし[#「よし」に傍点]とするもののみを、我々の上に実現させようとされる。彼程、お前の愛す者なら、良人として
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