や自分をニートな生活で育てたいと思う者は、どうしても、毎日の生活を、バーレンなものにはして置けない。食事にしろ、部屋にしろ、何しろ気を配る。「人」は、愛する者に奉仕せずには居られない。然し、一方芸術のことは、箇人の全的統一と燃焼とを要求する。
 此処に、家庭の主婦として芸術に指を染めようとする者と、先ず芸術を本領とし、愛する者の伴侶であろうとする者との、截然岐るべき点がある。
 福島からとりと云う五十歳ばかりの女中が来、自分の生活が一方にはっきりと重点を定めて仕舞うまで、今日考えれば、可哀そうな混乱をしたのである。
 母上は、始めから、家などを持っては到底駄目だ、と主張された。当時、それは、直ちに、お前が結婚などをしたのは間違って居ると云う意味に通用したので、自分は、寧ろ決然として其に反抗した。
 結婚こそ、自分に大切なのだ。心の中で、あらゆる異性に向って動揺するものがすっかり鎮り、落付くだろう。無自覚でするコケティッシュな浮々さが沈み、真個に延るべきものが、ぐんぐん成育するに違いないと信じて居たから、自分は、怯じて居られなかった。
 今、恐らく一生、自分は此反省の誤って居なかったことを感謝し得るだろう。
 九月三日に引移って以来、今日(一九二一年十一月二十三日)まで、具体的に小さい変化が我々の巣にほどこされた。
 去年の十月、Aが、中央公論に、オムマ・ハヤムの訳詩、並に伝を載せて、貰った金の一部で、三本の槇、一本の沈丁花、二本可なり大きい檜葉とを買った。二本の槇は、格子の左右に植え、檜葉は、六畳の縁先に、沈丁、他の一本の槇などは、庭に風情を添えるために、程よく植えた。
 庭木は、今年になって、又一本、柔かい、よく草花とあしらう常緑木の一種を殖し、今では、狭い乍ら、可愛ゆい我等の小庭になった。
 夏福井から持って来た蘭もある、苔も美しく保たれて居る。あの赤ちゃけて、きたなかった庭は、もう何処にも思い出されない。
 家具の新らしいものは、植木よりは少い。大きい海鼠焼の火鉢、風呂桶。今年のお盆に、母上がお金を下さり、重宝な箪笥とワードローブを買った。
 目下、H町とAとの間にこだわりのある外、生活は滞りなく運行して居ると云ってよいだろう。
 Aは健康で、女子学習院、明治、慶応に教え、岩波書店から、彼の最初の著述、「ペルシア文学史考」が出版されそうになって居る。
 自分は
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