と生徒との関係などに、どのように向けていたのだろう、という疑問であった。更に、家庭の社会的なあり場所とそのなかでの娘としての自身を、どう見出しているのだろうか、と。
 社会への自覚というものは、外の現象だけ向けられるものではないのだから、わたしたち自身のありよう、生きかたが、社会的階級的な存在であり、その現象である。この一冊の本にみちている小さな婦人たち一人一人の欲求、抗議は、自分のものとして自分の中から発しているが、それがもうこんにちの社会のもっている問題そのものであり、その方向で解決されてゆかなければならない本質をもっている。「わたし」というものが、それだけ社会的な内容をもつ存在であるからこそ、その欲求と抗議に客観的で生きた価値がある。
 この本は、いろいろな層の読者に与える何ものかをもっているが、ちがった環境とちがった性格の同じ年ごろの若い人たちがよんだら、男にしろ女にしろ、明日に伸びつつあるお互を知り合うために、どんなに有益だろう。ここには円卓会議《ラウンド・テーブル》がある。ここではみんなが自分を率直に表現している。そのことによって、ひと[#「ひと」に傍点]を発見し、それぞれ
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