されている年頃のひとによってかかれたものもある。そのどれもが、それぞれに五年前の日本には表現されず、また存在もしなかった十五歳から十八、九歳までの少女から、ごく若い婦人たちとよばるべき年ごろのひとたちの世界をひらいて示している。同じ十五歳という年齢の内容に、何と精神や感覚の早咲、おそざきのちがいが、はげしいだろう。ちょっとみるとおどろくようなその相異にもかかわらず、十五歳の小さい婦人たちが、少女としてふれてゆく自身の社会環境に対してもちはじめている批評は、またそこに共通な本質にたっている。
 十六歳。そして十七歳の女生徒たち。ここには、この年代のひとの姉たちがその年ごろで経た生活感情と非常にちがったものがあらわれている。たとえば共学を例にとっても。
 現在、大学や専門学校を卒業しようとしている年代の若いひとびとは、その中学校の時代を、共学どころか、人間の理性や感情さえ戦争で圧しひしがれた青春としてすごさせられた。だから大学や専門学校でにわかに共学がはじまったとしても、そこにはお互のぎごちなさがあり、よけい神経のつかわれた傾きがあった。本当にさっぱりとくつろいだ男友達、女友達の感情はまだ
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