。良人の方を眺めながら)何方《どなた》から?
良 三 山田さ。……また朝鮮から出て来たから、土曜の晩にでも、一緒に飯を食いたいって云って寄来したのだ。
やす子 そうお。よくお出られになるのね。そのくらい自由が利けば、朝鮮も悪くありませんわね。うちへお呼びしてもよろしいことよ。(夕刊を取ろうとして、一つの封書に目をつける。ふと、意外だという表情)
まあ! 一寸。(手紙を取りあげる)柳田さんの奥さんから何か来ましてよ、噂すれば影ね――何でしょう、まさ子ってあの方でしょう?
良 三 (読みかけの手紙からチラリとその方を見)へえー、何だろう、まさ子ならそうだね。(読み終ったのを手早く封筒に入れ、やす子の出す、灰色っぽい手紙をとる。裏表をかえして見)何が起ったんだろう。
やす子 (箸箱へ、良人と自分との箸をしまいながら、時々くり拡げられる巻紙を見る)短いじゃあありませんの。
良 三 うむ。(注意を全く手紙に奪れている。読むにつれて、次第に陰気な、険しい表情が眉宇《びう》の間に漲って来る)
やす子 (それに心付き、心配そうに小声で訊く)どうなすったの?
良 三 (無言。口元が激した感情で、次第に緊張して来る。読み終ると、ぞんざいに、巻紙を拡げたまま卓子《テーブル》の上になげ出す)フム!(溜息と共に吐く)
やす子 (思わず愕然とする)まあ! どうなすったのよ、ほんとに。(手紙と良三を素早く見較べる)何と云ってお寄来しになりましたの、見てもいいでしょう?(手紙を取ろうとする)
良 三 まあお待ち。僕が読んでやる。(感情を強いて制した語勢)あの奥さんが、また芝居気を出したのさ。つまらない。こんなものを寄来して、どうしようというんだ!
やす子 そんなに亢奮なすったって仕様がないじゃあないの? だから何と云ってお寄来しになりましたって云うのに。
良 三 じゃあいいかね、読むよ(わざと、手紙に対しての侮蔑を示すような、おどけかた)よく聞いておいで。(以下文面)
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拝啓、朝夕は風も身にしみる時節となりました。先生は相変らず御健勝、御活動のことと大慶に存じ上げます。さて、いつぞや御来診を願いまして、本意を遂げませんでした幼児は、以来引続き、その健康を気づかわれておりましたが、ついに、昨二十一日、午前十一時半、あらゆる母の希願を空しくして、果敢《はか》なくなってしまいました
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