わたしたちは、ここにD・H・ローレンスという作家の秘密の母斑を見る。彼は、人間性の課題としての性の解放を、上流の男女の冷淡で偽善的な情事や打算のある放恣と、はっきり区別しないではいられなかった。この人生において、単純率直に求めるものを求めて行動し、そこに精神と肉体との分裂をもたない人物。そういう男性をローレンスは性の解放者として登場させている。その意味であいての女より階級的に低い階級に属す男が、性の解放という役割において、優位するのである。
ストリンドベリーは、偽善に対する彼のはげしい憤りと女性の動物性への侮蔑から、下層の男の野性を、征服者として登場させている。(令嬢ユリー)こういう実例は、日本の現実の中にも少くない。しかしローレンスは、人間としての女性をはずかしめる者としてではなく、枯涸と酔生夢死から人間の女として覚醒させる者として、より強壮で、率直な男の性を提出している。
D・H・ローレンスは、一生、自分自身がおちこんでいるいくつかの矛盾からぬけ出すことが出来ずに、苦しんだように見える。ローレンス自身、自分の書くものの中に、全く感覚的な特殊な素質と、イギリス人らしい常識とがまざ
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