めごろ、日本に翻訳された。三岸節子の装幀で、瀟洒な白と金の地に、黒い縞馬の描かれた本も見た。当時、それは、文学作品としてよまれたのだった。
時をへだてて、ふたたびローレンスの作品集が出版されはじめた。そして、刑事問題をおこしている。取締りにあたる人々が、問題となっている作品を全部よまないで、好奇的に語られている部分だけよんで、告訴しているといわれている。それが事実ならば取りしまる[#「取りしまる」に傍点]立場の人々、自身の卑猥さがそのことにあらわれている。問題がおこってから俄にローレンスの作品の社会的、文学的意味をジャーナリズムの上に語りはじめた同じ人たちが、出版のはじめから、「チャタレイ夫人の恋人」のバンドに刷られたアンケートが果して文学の問題であるかどうか考えることは出来なかったろうか。問題をもっている一つの文学作品を紹介するには、そのはじめに(さわぎのあとからでなく)客観的な、提灯もちでない解説があっていいのではなかろうか。ローレンスの作品の問題につれて、わたしたちに感じられているのは、ローレンスそのひとの文学のきたなさ[#「きたなさ」に傍点]ではない。社会的に未熟であり、きょ
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