女流作家として私は何を求むるか
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)湿《うるお》い

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号)
(例)里見※[#「弓へん+享」、第3水準1−84−22]氏
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 なぜ女性の中から良い芸術家が生れないか、或いはそれが生れたにしてもなぜ完成の域にまで成長しないのか、その質疑に対して私は第一に女性教育の欠陥を挙げたいと思います。個性の上に温かいはぐくみを持たない今の教育は、綜合的な人間常識を授けるにとどまって、その人の持っている質の善悪にまで敷衍されていないからです。その点から一面、人間中心芸術中心の天才教育があってもよいと思います。
 芸術家としての素質に就いて女性をどう観るかという事に就いては、私は女性にも十分に芸術家になり得る天分は賦与されていると思います。趣味の上から、その生活に湿《うるお》いのある点から、或いはその環境が女性の上に及ぼす体験から、到底男性に持ち得ないと思われる何ものかを持っていると思います。それがなぜ力として芸術化されにくいか、或いはその創作が多くの場合、彼女は女であるという目安の上に置かれて批判され、価値づけられているか、この点に関しては、例えば「性」の問題を取扱うとして、つぎの如きもどかしさがその創作を裏切る。即ち「性の問題」を取扱う場合も、男はそれを彼の生活の一部として虚心に口にし、芸術化し得るのに対し、女性はそれをより以上に敏覚する素質を与えられていながら、彼女がその原始時代から伝統的に培われてきた道徳性は、この問題を直ぐに善悪の批判の上に結び付けたがります。一面男性よりも性的の徹底性を持ちながら、芸術家になり切れない道徳性の為めに、フッ切れない女性の力のはがゆさが痛切に感ぜられます。
 これは僅かにその一二の例に過ぎないが、これらの点からも女性はもっともっと力強く自己を開拓する必要があると思います。

 私は過去の自分の創作やその態度に非常な飽き足りなさを感じたことから、今度の長篇に対してはこれまでとは全く異った気持で向っています。私は過去の生活が割合に順調であった為めに、それから享容《うけい》れた或る純真さはあったかも知れないが、他面に於て前に述べた伝統から享容れた欠点のある事も否めない事実である
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