婦選問題が討議されたという事実は、今日の議事題目とくらべて何というちがいであろう。
昭和四年(一九二九年)には、政友民政ともに婦人公民権承認に立ち、この年の一月には婦選デーが催された。しかし、市町村制改正の政府案から婦人公民権は削除され、当時、公民権賛成議員が多くて政府はその対策に腐心したと記録されている。政友民政両党から出された婦人公民権案は、ついに否決されたのであった。
ところが五年の議会ではまたこの公民権がもりかえされて、ともかく衆議院では可決されるところ迄こぎつけたが、貴族院では審議未了となり、全国町村長会議では、婦人公民権案に反対を決議しているというのは、実に町村長などという地方的有力者に代表されている一般観念の根づよい偏見と保守性を語っている。
貴族院もまたその議員たちの属する社会層の伝統の重さ古さによる故であろうか、昭和六年の婦人公民権政府案を貴族院で否決してしまった。
満州事変が昭和六年九月に勃発したことは、以来引つづいて今日に及んでいる日本の全社会生活の大変動の発端をなしているが、婦選運動の流れは、ここにおいて歴史的屈折をよぎなくされている。
従来欠かさず提出されていた婦選案、廃娼案が昭和八年の議会からは、提出されなくなった。これは日本のどのような施政の方針変化を示す事実なのだろうか。
十数年来婦選のために力をつくして来た種々の婦人団体は昭和九年以来、方向転換して母子保護法の達成に協力することとなり、十二年それが可決されてのち、婦選運動家たちの動きは、時局に際して一種の名状しがたい消極的混乱におかれるに到った。「時局研究会」とか「精動」とか種々の委員会への分散的吸収にまかせざるを得なくなって、この夏、新体制の声とともに、婦選獲得同盟は十八年の苦闘の歴史を閉じて解消してしまったのであった。
婦選の動きが日本にあってはこのように見るも痛々しい浮沈をくりかえして、公民権さえもついに誕生し得ないまま未曾有の世界史的変化に当面しているという今日の現実は、明日における主婦たちの政治的自覚を期待する上に、消すことのできない大きい深刻な痕跡を刻みつけているものであることを、私たちは忘れてはなるまいと思う。
金子しげり、市川房枝などの運動と並行して昭和二年(一九二七年)ごろ無産派婦人政治運動促進会というものができ、全国婦人同盟が組織され、その流れは爾後七八年間種々転変しつつ、日本の勤労的な生活にある婦人層の広汎な政治的成長のために尽瘁《じんすい》しつづけた。明治の暁の光の中で半ば生れんとして生れなかった自由民権時代の婦人の社会的覚醒への希望の本質は、むしろこの流れのうちに発展され、うけつがれるべきであったが、日本の社会の歴史の全く独特な襞の深さは、常に歴史のテムポを極度に圧縮し、あらゆる事象の発達の前後の関係に無理を生じさせている実際が、この面についてもいえる。今日までの婦選が一方において中流的な婦人層の政治的な成熟の形となって完成されず哀れや蔕《へた》ぐされて落ちた如く、他方勤労的婦人の生活の声も組織されず、昭和十三年の婦人年表には、母子保護法実施とならんで婦人の坑内労働復活という二つの矛盾した事項が肩をならべて記載されることとなったのである。
日本の歴史に縫いあらわされている婦人のこのような社会力の弱さは、今日の新しい日本の進み出しのあらゆる場面で、種々様々の困難を生じていると思う。女自身の低さに女が苦しんでいるばかりでなく、そのような婦人の低い未訓練な社会的態度というものが、女をそのように導いて来た男の推進にも今や重荷と化していることは明瞭だと思う。
たとえば、「精動」に参加していた名流婦人たちは、彼女たちのいわゆる時局的な動きの間で、はたしてどれだけ真に国民の感情に暖く賢くふれてゆくような仕事ぶりを示しただろう。自身がいわばすでに功成り名をとげた人々であるそれら大多数の婦人たちは、政治的に、すなわち客観的に現実的に社会現象を判断し対処してゆく能力は欠いていて、事大的な追随を政治的な態度と思いあやまって、結果としてはかえって、時局を漫画化する登場人物の役割をもった傾さえあった。同時に、対外的な場面も拡大されているのだがそういうところで日本の婦人が示す言動の、政治を意識する方法の低さから生じる非政治性というものは、やはり案外に大きい意味をもっているのではないかと思う。そういう点では、婦人参政権獲得のために苦難な道を経た先進婦人たちも、日本では政治上直接に婦人が発言してゆく機会をもっていなかったため、いつも間接に、いつも男の代議士を動かして公の声を伝えなければならなかったということで、自身の動きかたを、おのずからふるい政治家流の観念に犯されている悲しさもあるのである。
明日の日本の主婦たち、娘たちが健全な新鮮な政治の理解に立ち、自分たちの日常の生活処理にかかわることとして政治的成長を遂げてゆくことは、決してたやすいことではないと思う。
隣組ができて、そして物資の問題が切迫するようになって来てから、婦人の政治的関心が高まったということも聞くけれども、「贅沢は敵だ」というような標語をその文字の意味で理解するようになったというのが、婦人の政治的成長というのは、あまり、安易な解釈と自己弁護であろう。
成長をうながす一つの方法として、一部では隣組に主婦会をおいて、主婦というものを一つの職能として上部の組織へも代表を送り出して発言する可能をつくろうと考慮中らしい。
主婦という立場を職能とみるべきであるという考えは、日本の新体制からはじまったことではなく、社会施設の完備を目ざしている国々ではドイツでもソヴェト・ロシアでも、主婦の仕事を社会構成上の一職能として評価している。しかしながらきわめて興味あることは、そのようにして主婦に職能としての社会的評価を明らかにしているところでは、そのような婦人に対する社会的評価そのものからみな選挙権その他市民としての政治力を認めていることである。
現在政府の各種委員会に婦人代表として参加している婦人委員たちが、いかなる扱いをそこで受けているかということは、たとえば最近制定された女子の賃銀問題についてみても明らかであると思う。
政治上の権利をもったからといって女が幸福にならず、良人や子供たちを幸福にするものでもないことは自明だけれど、この社会にあって幸福を守り、つくり出してゆく条件の可能を増してゆくためには、一定の社会的評価と契約の表現として、政治上の力は女にとって必要なのである。
一二年来、国防婦人会、愛国婦人会その他婦人を家庭の外へ外へと動員する傾向がつよめられて一般家庭の感情には、婦人を家へ、と取りかえしたい心持が相当湧いて来ていると思われる。
この感情は、婦人の政治的な向上をともすれば外出がちな形をもたらすものと思いちがえさせ、保守に傾かせる危険をもっている。政治的な成長ということは、必ずしも隣組選出の区議を当選させるために主婦たちが活躍するというような末梢のことではあるまい。
大きく日本の世界におけるありようを知って、自分の愛する家族たちの動き、浮沈について利害をこえた理解同情をも抱ける婦人の感情の高まりは、単純なヒロイズムからは期待されまいと思う。
どんな主婦も、その前は娘たちであるのだし、今日の若い娘たちがやがて主婦となるという現実から、今日の日本の学校教育が若い婦人たちにどのような政治的訓練を与えているかを見直される必要があると思う。
政治の本来は自ら自らを治める力と方法との自覚の謂であろうし、万民翼賛の思想にしろその本質に立つものと思うが、たとえば女子の高等程度の学校で、女生徒たちは昨今何かの自主的な活動に訓練されているのであろうか。
学校の寄宿舎生の間に、自分たちで組織している物資融通機関のようなものや、輪読会のようなものや、級自治会のようなものはあるのだろうか。自分たちの生活の必要にたって、必要を整理解決してゆく政治の初歩的なそういう習慣が女学校生活の何年間かに養われるということは、将来に意味あることだろうと思う。
現在ではその間、またさまざま微妙な関係が生じているのではないだろうか。集団の行動を奨励している他の反面では、男や女の学生たちが自分たちで集って何かきめてやるということについて学校当局は神経を過敏に動かすのではないだろうか。
政治的成長というものは、いってみればそのような撞着的事象の本体を洞察して、その間から何か積極的な合理的な人間生活建設の可能をとらえてゆく動的な生活的叡智、行動にほかならないのであろうと思う。そして、ある場合には、婦人の真の政治的な成熟のために、いたずらに画一的な、便宜主義の、判断のない、投票の数をかき集め式な目的をもつ婦人の政治的参加に対しては、婦人自ら追随を拒む必要も生じるであろう。婦人はあくまで自分たちの日常の生活をみきわめて、そこからの智慧と判断で鋭く判断して、成長して行かなければならないのだと思う。[#地付き]〔一九四一年一月〕
底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
1952(昭和27)年8月発行
初出:「教育」
1941(昭和16)年1月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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