、成田梅子、村上半子、景山英子らの活溌な動きがあったのだが、岸田俊子にしろ当時の自由党員中島長城と結婚してからは、自分の過去の政治活動をあまりよろこばしい回想とはしていない口吻であったことが語られている。俊子の生涯の活動ぶり、情熱の中心は、自分というものが身にもっている容色と才智との全部を男と平等なあるいは男を瞠若《どうじゃく》たらしめる女として表現してゆこうとする意欲に熱烈で、その面には徹底的であったらしいけれども、当時のおくれた無智におかれている同性に対しては決して暖い同情者啓蒙者であるといえなかった点も、今日から見ると、一種のおどろきに似た感情を与えられる。
明治三十二年というと中島湘煙の死ぬ二年前のことだが、その頃青柳有美が大磯の病床に彼女を訪問したときの湘煙の談話は、彼女の女性観をまざまざと示している。
有美はその時分女への悪口で攻撃されていたらしい。湘煙はいくらか同情気味で「私は実は女が大嫌いサ。」といっているのである。
「ドウも洒落な、かまわん所がないからナ……男ならどんな人でも大抵手には余さんが……女と来ると丸で呼吸が分らんでナ……どう向けて善いものやら、……トンと
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