、現在一般の婦人の常識と日常生活のうちにどこまで具現されているだろうか。
 世界の国々ではどこでも、婦人の政治的な成長の第一歩が常に公民権の獲得からはじめられていることは周知のとおりである。永井享氏の「婦人問題研究」によると、イギリスでは一八六九年(明治二年)に女子に公民権を認められ一九一八年(大正七年)の人民代表法で三十歳以上の婦人に参政権を与えた。それによって約六百万人の婦人が選挙権をもつこととなった。ノルウェイの婦人は、一番早く一九一三年(大正二年)完全な参政権を得ている。ドイツが第一次大戦終結の後一九一九年(大正八年)ヴェルサイユ条約成立と年を同じくして、新憲法による男女二十歳以上の一般、平等、直接、無記名投票権を認めていること、および、ソヴェト・ロシアが一九一七年(大正六年)十一月以来生産的公益的労働によって生計を営む十八歳以上の一切のもの(即ち男女をこめて)に選挙権を認めていることなどはすでに知られているとおりである。
 ひるがえって日本の明治以降をみると、さきにふれたように、自由民権時代の末期(明治二十三年)に集会結社法で婦人の政談傍聴を禁止されてから、更に明治三十三年(一九〇〇年)エレン・ケイが「児童の世紀」を書いた年、治安警察法第五条によって、女子の政治運動が禁止された。
 神崎氏の年表に、三十六年鳩山春子選挙演説を行うとあるけれども、それは恐らく愛する良人か息子のために、この有名な老夫人が出馬応援したという範囲のことであろう。
 大正九年、大戦後の波は日本の社会にもうちよせ平塚雷鳥の新婦人協会が治安警察法第四条の改正を議会へ請願したりする迄の十数年間、日本の一般の家庭婦人の経た政治的訓練というものは、一部の婦人の選挙の前後の内助的活動と、選挙が近くなるとあすこの奥さんは愛想がよくなるよ、という風な庶民的諷刺とにとどまっていたと思えるのである。
 大正十二年(一九二三年)普選案が国民全体の関心の焦点におかれたにつれて、婦人参政権建議案が初めて議会に提出された。市川房枝、金子しげりなどの婦人参政権獲得期成同盟会が成立したのは翌十三年のおしつまった十二月のことであり、いよいよ十四年普選案が両院を通過したと同時に、婦選の要望もきわめて一般的なひろがりをもちはじめた。
 大正十五年二月には婦人参政建議案が衆議院で可決され、昭和二年の全国高等女学校長会議で、
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