このような地下室つきの自由の上で、たとえギリシアの女の自由というようなことを言ったとしても、現実に女奴隷がその社会に存在しているからには、今日私たちの感情で理解するような本当の自由というものは存在しなかったというのが事実である。ギリシア神話そのものにも、この婦人の立場はよくあらわれていて、たとえばヴィナスは描かれ彫られ、女性の美しさの典型と考えられているが、どの彫刻を見ても、いつもヴィナスは、見られるように観賞物としての女としてあらわれている。織ものをしているヴィナスを見たひとがあるだろうか。子供を育てている普通の女の姿でヴィナスを見た人があるだろうか。キューピッドという彼女の男の子は、いつも恋の使として、金の弓矢をもってヴィナスのそばにいるとしても、ヴィナスの母としての人生、妻としての人生などは見たことがない。彼女は多く裸体で、女性の美しさを発揮しながら、必ず無為の姿であらわされている。ギリシアの生活で働かない女の美しさだけを描いたということは注目されずにいないのである。ヴィナスやヘレネのように女性が芸術の上にあらわれたというところに、人類社会の歴史にあらわれている権力の形の――婦人の悲劇の発端がある。
こうして婦人のうけみな社会的立場をおのずから反映してうけみな対象として文学に導きいれられた婦人は、ルネッサンスの時代、文芸復興期になって、どういう変化をうけたろう。
ルネッサンスは、最も早く商業が発達して市民階級の経済的・政治的実力のたかまったイタリーに十四世紀からおこりはじめた。そして、フランス、イギリス、ドイツと全ヨーロッパに拡がって、それまでの中世的な暗い王権と宗教との圧迫から、自由にのびのびと人間性を解放しようとする運動となり、社会生活と文化は全面的にヨーロッパの近代への扉をひらきはじめた時代であった。
ルネッサンスの時代が進んでからは、婦人の社会的な生きかたもひろがりをもちはじめ、スペインのコルドヴァ大学などで婦人の学者も数人あらわれた。ルネッサンス時代の豊富さ、人間性の横溢を代表する芸術家の一人としてシェークスピアの戯曲が、いつも話題にのぼって来る。シェークスピアの戯曲の登場人物は実に多種多様で、社会の現実そのもののように豊富なのを特徴としている。人間の可憐さ、狡猾さ、奸智、無邪気さ、あらゆる強烈な欲望が描かれていて、そこに登場する婦人も、決して
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