せのニューアンスというものが壊される場合が比較的に多い。夜のお化粧とか朝のお化粧とかそう云う化粧読本の箇条としての一般論みたいなものは行き渡っているようだけれども、もっと自分に即して、自分の気持をとらえているという風のおしゃれは、まれに思えます、それは一応通ななり[#「なり」に傍点]、凝ったなり[#「なり」に傍点]、或はシークななりというのとは自ら違ってね。そう曰く因縁の難くない材料や気持の取合せでその人が語られているというのは、気持よいと思います。身なりのおしゃれも、追いつめて行くとありきたりのようですが結局心のおしゃれなんでしょうね。
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心のおしゃれと云われると、技巧している心の意味にも思われますが、まさかそうではないでしょうね。
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それは真個《ほんと》のおしゃれが低い意味での技巧で追つかないと同じで、心のおしゃれも、生々した感受性や、感じたものを細やかにしっとりと味わって身につけてゆく力や、心の波を周囲への理解の中で而もたっぷり表現してゆく力や、そう云うものの磨かれてゆくことを意味していると思うのですがね。
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