いる感じだから、生活に対して、生々としたものを求め豊富な若い時代を過したいと思う人はなんとなく家庭から離れた自分一人というものを広い世の中に触れさせ、生きて見たい心持がするのでしょう。
 それはどんな年齢になっても人間の心にある一つの面白い面ですね。細君になっている人でも、そう云う気持はあるでしょう。職業を持っている若い女の人は、直接自分の周囲にひとりで生活している人を見てるし、また、映画だのいろんな文学的作品のなかで、職業婦人としての近代性の一つとして様々のそう云う生活の絵を見ている訳だから、自から心に描かれるものもある訳でしょう。そう描いたものを持ち、さて、一人になって暮して見ると矢張り新しい現実の困難が出て来ることもよく判ると思います。大体日本の社会が家庭というものを、実際は大分難破しかかっているにも拘らず、唯一の心の寄り所のようにして来た歴史が長くて、今日のところでは女の人にしろ男の人にしろ、矢張り古い形で家庭の夢の残りを持っている、そしてまた、それに執着して生きていると思います。ですから個人の生活と云うものの在り様が、ある意味では充分に一人一人の中に根を卸し切っていない。この
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