心配などを、有難いとともに漠然負担に感じないで暮している娘さんたちが今日はたして何人あるだろうか。日本の女の自己犠牲の深さということを一方においてみると、女は自分中心だということが矛盾しているようでもあるが、自己中心ということが、つまりは女が社会的に自分の心、ひとの心を見て感じてゆく力の弱さから来ていることを理解すれば、自己犠牲の深さもその裏がえった一つのものとしてのつながりをとらえることができるのだと思う。これまで女が経て来た自分を殺した生きかたに、女は全く満足しきって朗らかであるのだろうか。けっして本心はそうではない。自分のささげた犠牲を十分胸にたたみこんでいて、そのねうちを評価していて、それについて語ることのできる場面におかれれば、自分にとって最も熱情のわき立つ話題として、自分を殺して生きて来たその筋道について語るだろう。そういうとき、自分の犠牲が、社会的にはどんな条件からおこったものかということは顧みられず、常に自分の一生としての範囲で語られるのである。
若い婦人たちの社会生活は、今日どんどんひろげられている。女性総体としての社会的経験が急速に多様になり、複雑になって来ている
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