当時の女学生として、力量は無くはなかったのに、社会的に能力を示す人は非常に少い。あとになってからは、大分変化したが。一級の中でも、女の生徒同士の嫉妬や競争を刺戟しないように、ということが先で、専門学校への入学ということやその準備についてなど、教師は全く消極的であった。無事に女学校教育を終らせて、嫁入らせようとしている親の手にわたすのが、一貫した目的であったから、万事が事大主義で、髪の形まで、干渉した。ほんの何年か経ったあとには、すべての女学生はおかっぱとさえなったが、一般がそうなればその女学校の先生たちも決して驚いたり、叱ったりはしない。つまり自分として一定の見識があるわけでないから、「その時の事情」に盲従するばかりであった。私の場合は、受持の女教師がへつらいのある性格の人であったから、いろいろの点で反撥した。
 女学生の時分を思い出して、心から懐しむのは、その女学校の構内の風景である。そして、そこの五年間に、最も私の心につよい影響をもったのも、つまりは、その独特な風景の味ではなかったろうか。

 女学校はお茶の水の聖堂のとなりに、広大な敷地をもっていた。聖堂よりに正門があって、ダラダ
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