がそもそも「子供の家」のはじまりです。
 今では、モスクワみたいに大きい都会だと各区に一つ以上の「子供の家」をもっている。だんだん「子供の家」にもいろんな種類ができて、日本でいう不良少年のような浮浪児を教育する「子供の家」と孤児の「子供の家」とは別になっている。
 私たちの訪問したのは、親のないソヴェト同盟の子供たちの暮している「子供の家」の方です。
 市の中心から東に向って電車にのる。
 クレムリンの古めかしい壁の外をギーとまわって、菩提樹の下にベンチの並んでいる公園の横を通り、電車は次第に工場の多い区域に進みます。
 少し先へ行くとモスクワ第一の大金属工場「鎌と鎚」の工場へ出る、その手前で電車を下りた。
 町の名、番地を書いてある紙片を手にもって、曲り角を見上げては、右へ、また右へと静かな通りを進みました。(モスクワでは町の角々の家の壁にちゃんと町名札が出ているから、探すときにはそれを目あてに歩くのです)
 暫く行くと左側に「母と子の健康相談所」のカンバンの出た建物がある。その二軒ばかり先が「五月一日の子供の家」です。
 もとは誰かブルジョアの住居だったとみえて、正面には円柱が並ん
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